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今から旅に出る
ただいま人生に疲れています。

それにしても一月前に何でチケットなんか取ったの?気分転換のつもりが…甘かったかな。

モチベーションが保てない。単に気力ないだけ?絶対それだけではない。予備校に友達いないことが輪をかけているとしか思えない。

とにかく公務員試験の件で全くやる気がなくなりました。こんな人間面接なんか通りません。面接官にお前帰れと連呼されてる気がしてなりません。
止まった時計はいつ動く
「季節はまた変わるのに 心だけ立ち止まったまま」
これは、平成初期の名曲・プリンセスプリンセス「M」の一節である。
この歌詞の通り、
3年前にコンパで吐いてクラス首脳の大半を敵に回してから、

2年前に事実上の彼女にフラれてから

今年神戸の年下娘と仲たがいしてから&本命の会社に落ちてから

俺の心の時計は止まったままである。

なんかバイト中、大学のむかつく奴を凄惨なリンチで過去帳入りさせることや自分が死ぬことばかり考えていた。昨日コンパでしくったからか、進路が決まらないからか?おそらく原因はこの2つだろうな。

昨日の件、先輩方は叱ると同時にフォローもしてくださった。しかし発達障害のある自分が初対面の女性とうまく話せるようになるか心配だ。努力を諦める弱虫にはなるまいぞと思うが。

最近思うこと
発達障害者の中にもキモカワキャラの中にも勝ち組負け組の歴然とした区別があるということ。その例はおいおい紹介。
変わる変わるよ天敵は変わる
最近mixiにのめりこんで、高校の同級生との交流が活発化している。
いじめのボスキャラ3名が物故さえすれば(これは言い過ぎかも)、同窓会に出てもいい、むしろ出たいと思えるようになった。そもそも「みんな仲良し」だったはずの小学校時代も何だかんだ言って俺は弱虫泣き虫で、気の強い子やいじめっ子タイプの子に泣かされていたのに、結局は今こうしてみんなと仲良くしているのだし、高校に関してももうそろそろ態度を緩める時期に来ているのかもしれない。

代わって台頭するのが、学部で心のすれ違いのあった人たちである。彼ら彼女らには就職では絶対負けられない。就職浪人はしたくない。と思い焦る毎日。俺が失敗したらあいつらさらに俺を見くびるだろうな。あいつらが失敗しますようにと密かに思うことさえある。昨日は本命企業のエントリーシートができず苦しんだ。周りがいつも順調に見える、そして順調なのに加えて俺よりは余裕を持っているなあという印象を受ける。失敗しても死にはしない。別に1年や2年どうってことないという友人がいたわけだし。彼らが俺ほどまでに、「敵の順調な就活」を気にしていないことは確かだろう。

こう次から次へ敵を変えていくと、今更ながら何の成長もしない気がしてきた。次は最初の職場、その次は2番目の職場で見つけるのか?たしかに俺は自分で、自分は万人受けせず敵の多いキャラだと思っている。しかし、それにしても頭の中にはいつもどこかに敵の存在がある。どうすれば克服できるのだろうか?早く余裕を持って学部の奴らを無視する心境に至りたい。
この一年~学業編~
今度は学業の面を振り返りたい。

今年(正しくは去年)クラス以来の貴重な親友と共に第一志望の研究室に内定した俺。だがそれからの道は決して平坦ではなかった。

まず、映像企画書コンペでの大チョンボ。作った企画書が担当教官の逆鱗に触れる内容の物になってしまい、同級生や先輩から激しく嘲笑された。親友の企画書が教官から絶賛される中、自分の芸術センスの無さをただ嘆くばかり。

そのせいなのか元来自分が持つ対人恐怖(猜疑心?被害妄想?)があるのか、あるいは他の場面で前から誤解されていたからか、先輩及び同期女子の大半との間に心理的に深い溝が出来てしまった。先輩方の多くは少なくとも自分の事を正しく理解していないし、実際腹の立つことを言われたことも何回もある。このままでは「いじる対象にしか過ぎない無能な後輩」で終わってしまいそう。

同期の女子にしても似たようなことが言える。さすがにいじられはしないが、誰とは言わないが明らかにタカピーな奴や人見知り男の俺に対して冷たい人がいた。例えて言えば電車男の白石美帆。まさにそう。結局アドレス帳に増えたのは2人だけ。

結局映像では自分の引っ込み思案を克服できず、十分働けず個人的に悔いの残る印象で終わった。代わりに全力投球しようとした資料演習でも大アクシデントが。

俺は台湾に強く関心を持っているので、台湾をテーマにした発表をしようとかねてから決めていた。ところが教授が俺に希望のテーマを聞く前に、ある派手目の女の子に希望を聞いた訳だが彼女も台湾を題材にした発表をするようだ。教授や友人は「違った切り口で台湾を研究したらいいんじゃ無いの」と言ってくれたが、自分の趣味兼研究テーマを盗まれたような印象を受けた俺はマジで萎えてしまった。結局テーマを「大正時代の教育」に。卒論では彼女に一泡吹かせます。

とは言ったが、この件では彼女を外見のみで判断し、「指輪をしているプライドの高そうな勝ち犬」と見ている自分に根本的な問題があるのだと思う。
同じ趣味を持つ者同士だから、2006年こそは研究の話だけでいいから話せる友人になりたい。そうでないと、俺は「台湾研究の夢を閉ざされ」大学を中退することも考えかねない。なあ、それって馬鹿馬鹿しいだろう?

ともあれ、せめて興味あるテーマの時だけでいいから演習で去年や前期より積極的に発言するよう地道な努力だけはこの1年続けた。先輩や女子の一部はどうかと思うが、教授と同期男子には理解者も多く感謝しています。また飯食おうぜ、暴露トークも、野球ネタも!

あと、お願いだから皆さんもう少し鉄道趣味を寛容に理解して下さい。

それと、日勤教育まがいのやり方で生徒を虐める中国語のO教官をクビにして下さい。
この1年~恋愛編~
おそらくここを読んでいる皆さんのうち、某大学某学部の方は帰省や旅行やらでブログを見られないことだと思う。しかし書いておきたい。

こんどは恋愛の話。
去年の俺は、はっきり言って女の子に恵まれなかった。
一見チャンスがありそうなボランティアサークルでは下心なんか見せてはいけないし、そもそも友達作りから始めようと言うスタンスだったからそう言う話はまったくなかった。
ましてや学部の女の子は2回の時点で9割以上が彼氏持ち、新規参入など望めるわけがない。ましてや俺自身1回生の時のトラブルに起因する重度の人見知りや、大学のサークルが男子ばかりということもあり学部の女の子とは無縁な毎日を過ごしていた。

ところが今年は3月の台湾での出会いに始まり、5月の合コン、ボランティアでのつながりと次々に出会いのチャンスが到来した。言ったら人生のモテ期到来である。
しかし台湾の子は、、、中国語でしょっちゅう手紙を書く時間がない。
合コンの子は、、、喧嘩して音信不通。浪人→喧嘩→音信不通って前にもあったなあ。
とことごとく話は消滅。

別の人だけど、実は人生初の告白もしたんだけどねえ。(ため息)

結局終わってみれば去年と同じ。

ちなみに学部の女の子はみんな彼氏持ちなので新規参入不可能でした。うちの学部、電車男の白石美帆みたいなタカピー女もざらにいる学部なのでもはや男女関係で何も期待するものはないですが。念のため言っておきますが、もっともそういう性悪女ばかりではなく、某おたく系サークルの学祭展に来た子もいたりするのですが。

好きな人がいたのに、デートらしいデートができなかった俺は1983年生まれの日本人の中で最下層、負け組の極致かもしれない。惨めな日々が続く昨今である。
俺の親友には彼女持ちの人間が普通にいて、向こうの親御さんにも気に入られていると言う。またソーシャルネットワークで知った話だが、ある知り合いがいつの間にか彼女持ちのチャラ男になっていた。結局いじめっ子の言うことは正しくて、自分には一生彼女ができることはあり得ないのだろう。原爆投下直後の被爆地に、「永久に草木は生えない」と言われたように。

とにかくこのまま彼女が出来ないことには、水商売頼りの生活がいつまでも続くことであろう。だれかが合コンに誘ってくれない限り。
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