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私と韓国
私が初めて韓国を訪れたのは1993年の夏休み、一家5人水入らずの家族旅行の時であった。

宿泊先はソウル特別市龍山区梨泰院のハミルトンホテル。アメリカ人居住地区として知られる梨泰院の中心に位置するプール付きの高級ホテルだった。

当時の小学4年生の知識では知る由のないことだが、現在の龍山区にあたる地域には日本統治時代帝国陸軍の基地があり、日本の敗戦後はこの基地がそのまま米軍基地に転用された。こうした関係で、龍山区は現在もアメリカ人はじめ外国人の居住が多い地域となっているとのことである。

太平洋戦争敗戦の直前、この基地に駐留していた衛生兵の部隊に、後に戦後日本を代表する作家の1人となる松本清張二等兵がいた。

彼の連隊は当初激戦地のニューギニアに送られる予定だったが、大戦末期の輸送船不足が原因となり当初の予定は変更され、結果的に終戦まで朝鮮に留まることとなった。

その後戦局悪化に伴う部隊の再編成により、軍医の部隊に編入された彼はソウルから朝鮮南西部、全羅北道の井邑に移動し、ここで終戦を迎えている。

この井邑から少し南に行った場所にある韓国南西部最大の都市が光州である。

大韓民国成立後の1980年、民主化運動に対する大規模な弾圧である光州事件が起こったことで有名な都市である。

実はこの街には1930年代後半、高等小学校を卒業後間もない私の母方の祖父が住み、親戚の商店を手伝っていた。言うまでもないことだが、当時日本の一部であった朝鮮には数多くの日本本土出身者が学業や就労のために移住しており、我が祖父もそうした人間の1人だったわけである。

ちなみに全くの偶然だが、松本清張と我が母方の祖父には奇妙な共通点がある。

・ともに福岡県出身であること
(松本清張…小倉出身、祖父…行橋出身)

・最終学歴が高等小学校卒業であること

・職場が小倉にあったこと(松本清張…印刷所や朝日新聞に勤務、祖父…朝鮮から帰福後、鉄道省小倉工場に勤務)

・ともに時事ネタに強いこと

・日本統治時代の朝鮮への滞在経験があること。

改めてこの事実を考えると、松本清張と祖父への尊敬の念が一段と強くなり、複雑な時代背景を抜きに古の時代の朝鮮にノスタルジーを感じる。
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