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周遊1日目(2003年冬東北信越旅行vol2)
2003年12月6日
 高崎からムーンライトえちごに乗車した私は思いのほかすんなり寝付くことができた。実際途中で目が開いたのは水上・越後湯沢・小千谷・長岡だけだった。ただ、人気の無い深夜の長岡駅では何故かラジオ体操?をしたい気分になった。要は身体を動かしたいだけなんだろうが。

 4時52分に新潟着。事実上たたき起こされた形の私は退屈しのぎに新潟-中条間を往復する。それにしてもE127系、貴様の寝心地は最悪じゃ!

 中条往復の後はMAXときで大宮にとんぼ返りすることにする。浜崎あゆみのアルバムを聴きながらMAXの旅を楽しもうとしていた私はひょんなことから隣りの席の老婦人と会話に花を咲かせることになった。サッカーのアルビレックス新潟のこと、大学とその教育のこと、新潟の風土のこと・・・このような出会いは汽車旅の醍醐味の一つである。朝食の「鮭の焼漬弁当」も会話のおかげでより一層美味しく感じられた。
 
 上野にレンブラント展を見に行くという老婦人と別れ、私は大宮であさま(土曜運転の全席指定便)に乗り換える。ただ、この列車では睡眠不足のつけが出て、長野まで寝て起きての繰り返しだった。それでも碓氷峠の錆び付いた架線柱や、長野手前の大手味噌メーカーの工場などの風景は鮮明に覚えている。
 
 長野では温泉用のバスタオルを調達したほか、おやきを味わうことができた。「しなの」で松本に向かう前に時間があったので篠ノ井に寄ったが、駅前にはオリンピック当時の「ようこそ、開会式会場へ」という看板が残っていた。オリンピックのころ私はまだ中2だったなあ。そういえば長野駅ビルの中にも五輪マークがでかでかと描かれていた。こういうものは一体いつまで残っていることだろう。

 松本では松本城と開智学校を見学しようとしていたが、ここでこの旅最大の事件が発生する。見ると財布が無いのだ、開智学校から城への道を血眼になり探す私。幸い、松本城のベンチに財布は手付かずのまま残っていた。ラッキ-!!ただ、おかげで大糸線に北松本-松本間の一駅しか乗れなくなってしまったが。まあこのほうが財布が盗まれるよりはるかにましだ。

 駅そばをかきこみ、中央本線旧線経由で温泉町・下諏訪に向かう。途中の塩尻で杏ハイチュウを調達する。下諏訪の町には某名物知事の看板があった。駅から少し離れたところにあった公衆浴場に入ることにするが、ここは昭和30年代風のレトロな銭湯だった。この古臭さは若い女性には受け入れにくそうだが、男の一人旅にはちょうどいい感じだ。入浴後は上諏訪への電車までまだ時間があったので、方言記念館に寄る。

 上諏訪から新宿までは私にとってゆかりのある(詳しくは大学祭の項参照)スーパーあずさの旅である。カーブを高速で通過するE351系の車内でりんごジュースとくるみ大福のおやつタイム。おやつの後は眠気が襲ってきたので、時々目を瞑ることにする。それでも自分が4歳まで住んでいた国立-西国分寺間を通過した時は胸が熱くなった。幼い私は友達と遊ぶよりも、自宅近くの陸橋から201系快速や183系「あずさ」を眺めるのを何よりの楽しみにしていたものだ。

 新宿到着後は山手線と地下鉄日比谷線・丸の内線に乗ってから今夜の宿泊地仙台を目指すため東京に向かう。土日きっぷでは4回ただで指定席に乗れるというのでここは八戸行き最終の「はやて」に乗ることにする。「三陸わっぱめし」を食べ、音楽を聴きながら過ごすことたった1時間38分、21時42分に杜の都仙台着。私は東北は生まれてはじめてである。その後JRの列車や地下鉄を乗り回し、日付が変わる直前に今夜の宿であるネカフェに投宿。
*2005年5月31日転載 
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