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下関駅、灰燼に帰す
予備校の自習室から下宿に一旦引き揚げてネットを見ているときにこの衝撃的な一報を知った。

1942年の関門トンネル開通以来64年間、地元住民や旅人たちに親しまれてきたJR下関駅の駅舎が住所不定無職の老人に放火され、全焼したというニュースである。

ニュースによると、駅舎は実は戦時中の資材不足でコンクリートを使えなかったため、やむなく木造の仮設駅舎として作られた建物だったそうである。

激動の昭和とそれに続く平成時代を生きた駅舎では様々な人が行き来していた。一旗挙げようと大陸へ向かった人々。満身創痍で引き揚げ、ようやく祖国の地を踏んだ人々。戦後下関に本拠を置いた大洋ホエールズの勇士たち、下関が生んだ名優・松田優作、漁業その他の産業で出張に来た人たち…。

我が敬愛する作家の故・宮脇俊三先生は、17歳だった1944年春・落成直後のこの駅に立ち寄っている。時局が切迫する中、ある意味「旅納め」のつもりで「関門トンネルを通ってみたい」と親を説き伏せ出た旅の途中、彼は真新しい駅舎を見て何を思ったのだろうか。ひょっとしたら生きてこの駅に来ることは再びないのではと思っておられたのかもしれない。月日は流れ、その後宮脇少年は幼い頃からの鉄道好きの夢が高じて、鉄道紀行作家になりこの駅を何度も通過するようになる。

この駅舎は実は1999年に、無差別通り魔事件の現場になったことでも知られている。遺族や被害者の方にとって重い意味を持つ場所がこういう形で消えてしまうとは何とも複雑な話である。

*まだ執筆途中です。
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