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大池遊園の休日
盆休み初日の今日は和歌山でラーメン、鉄道三昧の一日に。海に行く話もあったのだが、あいにくの天気なので断念。

大阪駅7時55分の紀州路快速車内で、東京から夜行バスで関西入りされた某氏と落ち合い一路紀州徳川家の城下町として栄えた和歌山へ。普段の紀州路快速は和泉府中とか東岸和田辺りで少し空くのだが、今日は帰省ラッシュや行楽のためか車内は終始立ち客がいる状態。よって私は和歌山までの道中を立ちんぼで過ごす羽目に。

まず向かうは、先日岡山の路面電車を運営する岡山電気軌道の支援で設立された「和歌山電鐵」への経営引き継ぎが決まった南海貴志川線(和歌山-貴志)。この線区は戦前より現在の和歌山市、貴志川町の住民の足として長らく親しまれていたが、戦後に南海電鉄に合併された後、全国の他のローカル線同様にモータリゼーションで利用者減に苦しむことになる。

これに対し経営母体の南海電鉄は冷房付き電車の導入、ワンマン化による合理化、それから免許試験場前への新駅設置などと次々に増収策を講じていった。しかし乗客減に歯止めをかけることはできず、2004年夏同社は同線の運営から撤退する旨を沿線自治体に表明した。

地元自治体や住民らで組織する鉄道を維持するための協議会は、何とかして地域の足を残さねばとあらゆる方法を模索した。県単独での第3セクター鉄道設立が困難であると分かると、関係者は藁をも掴む思いで鉄道を引き受けてくれる事業者を探し始めた。

そしてこの2005年、路線の廃止まで数カ月となったある日、前々から申し出ていた岡山電気軌道が貴志川線の経営を引き受けることが正式に決定し新会社設立に至ったわけだ。来年には新会社での電車運行が開始されるという。我々はこのような状況のもと、最後の「南海貴志川線」を楽しんだ。

まばらな乗客を乗せて和歌山駅を出発した2両ワンマンの電車は、しばらくの間住宅地の中を走る。この路線には難読駅が複数存在し、車庫のある伊太祁曽(いだきそ)駅などはその最たる例であろう。伊太祁曽を過ぎる辺りから電車は山間部に。この辺りが40万都市和歌山市と貴志川町の境らしい。和歌山から約30分で終点の貴志に到着。同行の先輩は趣味の他、親戚の家や運転免許の用事で昔何度か貴志川線を利用されており、いろいろと当時の思い出を話して下さった。駅舎に同居する商店の3匹の猫に目を細めてから、すぐの電車で折り返すことにする。和歌山電鐵になってからでも再訪してあの猫にまた会いたいな。

和歌山への帰路、途中の大池遊園という小駅に興味を持ったので降りてみることにする。次の電車まで30分、辺りを散策してみることにする。遊園というのだから駅前には電鉄直営の遊園地があるように感じるだろう。しかし、実際の大池遊園駅の周囲にはその名の通りの巨大なため池と山林が広がっており、そこにまばらに人家こそ建っているものの遊園地らしいものは一見見当たらないかのように見えた。

駅構内では行き違い用の線路を撤去した跡と、廃虚もしくは物置に身をやつした待合室がかつての栄華を21世紀の今日に伝えているようだった。かつてこの乗客待合室(旧字体)で想い出話に花を咲かせた家族連れやカップルは皆何処に行ったのだろうか?そこではただ蝉の声が聞こえるのみであった。

駅を降りて西の方に向かう。5分も歩かないうちに、大池荘という旅館と遊具やボートの並ぶ公園が見えた。これがいわゆる遊園なのだろう。しかし桜や紅葉のシーズンではないためか、遊園には人っ子一人いなかった。池の向こうには遊具の並ぶ一角があったが、立ち入りが禁止されているのか対岸に繋がる橋の入り口には鎖がかけられていた。こうしてみると、この一角からは「廃虚になった元遊園地」以外の何ものにも見えない印象が感じられる。
(後日調べた所によると、今でも桜や紅葉のシーズンになるとこの遊園はそれなりに賑わうらしいが。ちなみにこの中には桜や紅葉をバックに池の上の鉄橋を走る電車を撮ろうとする鉄道ファンも含まれているらしい。)

貴志行きの電車が鉄橋を渡る様子をカメラに収めてから、我々は駅に戻ることにする。そろそろ次の和歌山行き電車がやってくる頃だ。昼ご飯は和歌山ラーメンがいいだろう。
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