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東横線部分廃止
 今日は随分気分がよくなった。愛想の悪い医者からでも薬は貰っておくべきである。まあその医者高熱の私が自転車で医院に辿り着いたことにビックリしておられたが。

 ところで今日は人口300万の大都市で一つの鉄道路線が使命を終えることになっている。東急東横線の横浜-桜木町間である。廃止理由は京浜東北線・横浜市営地下鉄と並行しているので客が少ないというからではない。確かにそれも一理あるだろうが、第一の理由は東横線があさって開業する横浜-元町・中華街間の横浜高速鉄道みなとみらい線と相互直通を行うことである。そのため現在高架の横浜・反町(そりまちではない)の両駅も地下に移る。まるで我が地元・神戸の山陽電鉄が36年前、神戸高速鉄道に乗り入れるため路面区間の兵庫-西代間を廃止し、長田駅を神戸高速鉄道に移管し兵庫駅利用者のため神戸高速鉄道に大開駅を作ったことと状況が似ている。

 今回桜木町の住民からは反対運動が起こった。理由は東急沿線に行くためにはみなとみらい線の馬車道かみなとみらい中央まで余計に数百メートル歩かされるようになる上、相互乗り入れによる値上げ運賃を払わされるようになるのだ。余計に歩かされるのはまだいいのかもしれないが、加算運賃に怒りの声が起こるのは無理も無いだろう。では36年前兵庫区や長田区の住民からもこのような運動が起こったりしたのだろうか?地元で神戸新聞の縮刷版を読んで調べてみようか?とにかく東京の南北線・三田線みたいにみなとみらい-横浜間を東急と横浜高速の二重戸籍にするとかいう手はなかったのだろうか?

 さて、この区間は高1の時私も乗車した区間だ。高松からサンライズ瀬戸で横浜に到着した私は、東横線に乗り換えてJRに隣接したこじんまりとした感じのターミナル・桜木町に向かった。これが最後の訪問になりそうだということで自動販売機で記念に切符を購入してさあ渋谷に出ようとするとカメラが無い。駅員さんに聞いてみると「電車のイスに置きっぱなしになってましたよ」とのことで私は幸いにもカメラを失わずに済んだ。あの時の親切な駅員さんは今どこで働いておられるか知らないが、拾ってくれた人ともども本当にありがとうございました。結果的にこれが最後の訪問になってしまったわけだが、1999年7月20日のこの出来事は今は亡き駅での思い出として一生心に残るだろう。

 開業から72年、この駅、この区間ではいろいろなドラマが生まれてきた。横浜大空襲では高島町の高架橋が焼け焦げ(跡が残っているらしい)、1951年に京浜東北線で電車が炎上した桜木町事件では隣の京浜東北線から逃げた客が東急の線路にも降りたかもしれない。そして開業当時から馴染みだった工業地帯の風景はランドマークタワーをはじめとする再開発地区・みなとみらい21に姿を変えた。その間車両も青と黄色のツートンカラーをまとった窓の大きい電車から緑の蛙型電車、銀の弁当箱型電車、銀に赤帯の電車と変わっていった。最後に東横線横浜-桜木町間へ、72年間お疲れ様でした。
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