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新幹線開業記念日に寄せて
 祝、東海道新幹線開業40周年。ほら、TOKIOの曲(歌詞無しver)がCMで流れてますね。9日後開幕の東京オリンピック開会式に合わせての開業で、中学生だった母方の伯父は京都市の中学生の中から選ばれて試乗列車に乗ったとのこと。当時小3だった母は今もこのことを自分のことのように誇らしげに語る。

 当時の主力車両はその後20年以上にわたり、「ひかり号」として第一線で活躍し続けた。1983年9月か10月、私が生まれて初めて乗った鉄道車両もこの0系「ひかり号」である。その後4年ほど東京に住んだわけだが、帰省のたびにいつも0系の「ひかり 新大阪」・「ひかり 博多」・「ひかり 岡山」・「ひかり 広島」の表示を出した列車に乗っていたわけである。八重洲・有楽町の夜景に見送られ、名古屋で見た名鉄電車に歓声を上げ、車内販売ではポッカのつぶつぶグレープをいつも親にせがんでいた。シウマイが、安倍川餅が、ういろうが…お姉さんの手に乗って車内を行き来する。嗚呼、思い出の東海道新幹線…。当時は100系も登場しだした頃だったが、私が乗るときに限っていつも0系ばかりが来ていたような記憶がある。

 関西に住むと、祖父母がともに関西在住(しかも父方の方は同居)ということもありあまり家族で新幹線に乗ることが無くなった。山陽直通「のぞみ」が出来た時には広島に連れて行ってもらえたが、もう0系の「ひかり」に乗ることは無かった。最後に0系「ひかり」に乗ったのは1989年のGW、新大阪-名古屋間だったと記憶している。

 しかしその後は一人旅で新幹線に乗る機会が増えた。500系貸し切り列車、700系「のぞみ」、レールスター、そして東日本のMaxや「はやて」、「こまち」等等。特に700系「のぞみ」の車内では大切な女性と楽しくメールしたり、夜景見ながらあゆやGLAYのお気に入りナンバーを聴いたり、受験勉強をしたり、失恋のエレジーに浸ったりと0系「ひかり」の時代に負けないぐらい大きな思い出が生まれた。東京駅弁の「深川めし」を食べたのも、鈴木あみやSPEEDを聴いたのも700系の車内だっけ。
 次に彼女が出来るのはN700系の「のぞみ」が出来る頃か、時速360キロ運転の新青森行き「はやて」が出来る頃か、はては北陸新幹線富山延伸の頃かは分からない。それでも今後車両変われど、沿線風景変われど、新幹線自体が昔と同じように我々に楽しい旅の夢と喜怒哀楽溢れる思い出を与え続けていくことに間違いはないだろう。

 ちなみに先程avex社長に就任した松浦勝人氏は丁度この記念すべき日に生を受けたらしい。なお不謹慎なネタだが、この間死刑になったあの大馬鹿野郎はケネディ暗殺の衛星中継があった日(1963年11月23日)が誕生日とか。
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テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

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