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おはようございます
自宅最寄り駅804→(阪急神戸線普通梅田行き)→816梅田…(徒歩)…大阪824→(東海道本線快速米原行き)→828新大阪840→(ひかり464号・自由席)→1101熱海1114→(東海道本線普通東京行き)→1136小田原

月曜日に振替休日が取れたので、ふらり首都圏へケーブルカー乗り潰しの旅に出る。あいにく体調は最悪だが、何とか東日本エリアに到達した。
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日光周辺乗り歩き
東武日光1425→(東武日光線普通下今市行き)→1433下今市1450→(東武日光線普通東武日光行き)→1458東武日光…(徒歩)…日光1520→(日光線宇都宮行き)→1602宇都宮

東武日光からは下今市まで、東武日光線の未乗車区間を往復する。昨年秋、春日部から会津高原尾瀬口まで区間快速で移動した際に乗り残した区間だ。

車輌はその時と同じ6050系。全席ボックスシート、トイレ付きで、主に長距離の快速、区間快速に使われる車輌だ。

快適なボックスシートにしばし腰を下ろし、日光名物の杉並木の中を走ること8分。旧今市市の中心駅・下今市に到着。

今市の町はそばが名物らしいが、行程の都合でそばつゆの匂いすら嗅がぬまま、先ほど乗って来た列車ですぐ東武日光に折り返す。

東武日光駅からは徒歩でJR日光駅に移動。JRの日光駅舎は1912(大正元)年にできたクラシカルな洋館風の駅舎。九州の門司港駅にそっくりな建物だ。駅舎2階はギャラリーとなっており、明治時代~昭和30年代の日光の町並みをテーマにした写真展が催されていた。

15時20分発の宇都宮行き普通列車で日光を後にする。車輌は数年前、日光駅舎に合わせる形で白とマルーンのレトロ調外装にリニューアルされた107系。ただ外装がレトロ調になったとはいえ、内装がリニューアル前のままというのは若干興ざめであった。

先ほどの東武日光線と比べて、観光客の姿がやや少ないような気がしたが、「JAPAN RAIL PASS」ユーザーとおぼしき外国人旅行客の姿がちらほら目についた。日本人観光客にとっては東武の方が、外国人観光客にとってはJRの方が、使い勝手がいいのかもしれない。

日本周遊を楽しむ外国人と普段着感覚で電車を利用する地元住民を乗せた107系の普通電車は、16時2分に日光に到着。
日光市営バスで足尾を脱出
間藤1245→(わたらせ渓谷鉄道桐生行き)→1250足尾1320→(日光市営バス日光行き)→1407東武日光

間藤駅から桐生行きの列車に乗り、足尾まで一駅戻ったのには訳があった。
「足尾」を名乗っているだけに、間藤よりは旧足尾町の中心地に近いからまともな昼食を取れる場所があるはず…そう考え、期待を胸に足尾駅のホームに降り立った。

だが駅には折り返しを待つトロッコ列車や、綺麗に塗り直されて第2の車生を歩むキハ30の姿こそあれ、肝心の駅前食堂の類は影も形もなかった。

意に反して空腹を強いられた失意の私の前に、数分遅れで日光市営バスのマイクロバスがやって来た。足尾・間藤の集落を抜けた日光市営バスは片側一車線の日足トンネルに入る。トンネルを越えた先は、2005年の市町村合併以前から日光市だった地域だ。

アイスホッケーチーム「日光アイスバックス」が本拠を置くスケートリンクや古河グループの工場がある清滝近くからは、1968(昭和43)年に惜しまれつつ廃線となった東武日光軌道線とほぼ同一のルートを取り、日光の市街地へ徐々に下っていく。

バスの車内からは日光軌道線の鉄橋や、神橋、金谷ホテルを眺め、申し訳にもならない程度だが日光巡りを楽しむことができた。

14時7分、ほぼ定刻通りに山小屋風の東武日光駅に到着。
わたらせ渓谷鉄道

桐生1036→(わたらせ渓谷鉄道間藤行き)→1212間藤

桐生駅と前橋駅はよく似た構造の高架駅だ。もっとも、乗り入れ路線の数では、県庁所在地代表駅の前橋より桐生が勝っているわけだが…

駅の規模はさておき、我が地元の阪急電車みたいに茶色一色のワンマンディーゼルカー(わ89-302)で、渡良瀬川沿いに走るローカル列車の旅を始める。

桐生を発車後、しばらくは両毛線に寄り添って走るが、元京浜東北線の209系が疎開留置されている下新田付近からゆるい右カーブで北に分岐する。

東武鉄道・上毛電鉄の赤城駅からほど近い大間々駅を過ぎると、列車はいよいよ山の中に分け入って行く。

大間々から先の区間には、味のある木造駅舎のある駅が多い。大間々の他上神梅や神戸、足尾などにくすんでいい味を出した木造駅舎が残っていた。

ところで、わたらせ渓谷鉄道の路線に沿って流れている渡良瀬川は、明治時代に「足尾銅山鉱毒事件」が発生したために「公害の川」というイメージで見られることがままある。

事実現在も、鉱毒による汚染が完全になくなったわけではないが、そうしたイメージを忘れさせるかのように、本宿~水沼間の車窓右手には「北関東の耶馬渓」とも呼ばれる美しい渓谷が広がっていた。

「わたらせ渓谷鉄道」の名に違わない風景を思い思いに楽しむ乗り合わせた行楽客たち。ただ私の座席は進行方向左側、つまり渡良瀬川とは反対側だったため、この時は渓流の風景を楽しめなかった。

観光客で混雑する車内から渡良瀬川をよく見られず退屈だったためか、続く水沼~神戸間では、夜行明け特有の睡魔が我が身に襲いかかり不覚にも居眠りしてしまう羽目に。

目が覚めるとほどなく神戸駅に到着。神戸駅と言っても「こうべえき」ではない、「ごうどえき」だ。この駅は星野富弘氏の美術館の最寄り駅で、多数の観光客が美術館への連絡バスに乗り換えるため下車した。

神戸を発車し、全長5000m以上の長い草木トンネルを抜けた列車は、再び渡良瀬川に寄り添って走る。今度は進行方向左手に美しい渓谷が待っていた。紅葉の見頃には若干遅かったが、沢入~原向間で見事な渓谷美を堪能する。

鉱山町のなかにある終着駅の間藤は、1977年5月28日に紀行作家の故・宮脇俊三先生が国鉄全線完乗を成し遂げた場所。「ミヤワキスト」を自称する私にとっては聖地のような駅である。駅ノートに「感無量」のコメントを残し、桐生行きの折り返し列車に乗り込む。

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