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久しぶりの週末
先週まで15.5日連続出勤だっただけに、のんびり過ごせる週末は久しぶりである。

昨日(土曜日)は、この10月1日(月)より第三セクターの伊賀鉄道に移管される近鉄伊賀線の乗車を楽しんできた。伊賀線名物の忍者のペイントが施された電車には乗れなかったが、元近鉄奈良線特急車の860形電車に乗れただけでも何よりであった。

また、途中下車した上野市では忍者屋敷と、松尾芭蕉を偲んで建てられた俳聖殿を観光した。

今日はこれから仕事で落語鑑賞である。落語は飛行機のオーディオでたまに聴くが、生で見るのは今日が初めてである。
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ミャンマー(ビルマ)の乗り物について
今日は反政府デモが続くミャンマー(ビルマ)の乗り物について語る。

数年前(俺が中高生の頃)、関西空港からヤンゴン行きという耳慣れない行き先の全日空機が飛んでいたのを覚えている人はいるだろうか。本当のところは成田から飛ばしたかったんだろうが、当時の成田空港には滑走路が一本しかなく、発着枠が満杯なのでとても無理な話だったわけである。

日本は戦後長らくODAでミャンマーに経済援助を行っており、関連企業のビジネスマンも商談や視察、赴任といった目的でこの路線を利用したとみられる。このほか、ビルマでお国のために命を捧げた日本兵の最期の地を訪れる戦友や肉親、仏教関係の観光地を巡るツアーの客も同じ飛行機で次々ミャンマーに渡った。

しかし、そもそもミャンマーに行く商用や旅行の需要自体が低かったうえに、長引く日本の不況、さらには軍事政権が圧政を敷くミャンマーとの経済交流拡大を好ましく思わないアメリカの圧力といった要因が災いし、この路線はわずか数年で廃止されてしまった(※)やむを得ない事情があったにせよ、あえなく廃止されたのは残念である。現存していたら一度は乗りたかった路線だけに…

さてさて、関西空港からヤンゴンに到着したANA便の乗客を待っていたのは、横腹に「東京空港交通」と書かれた日本車のバスであった。実はミャンマーなんかには着いてなくて羽田か成田に緊急着陸しただけなのでは?と思ったがそのような様子ではないようだ。空港には強面の兵士がいるし、何より向こうに見えるターミナルビルが日本の地方空港よりも古くみすぼらしい…

そう、ミャンマーの空港では日本製の中古バスが飛行機とターミナルビルの間の移動に使われているのだ。我が家にある10年以上前の雑誌には、「ヤンゴン空港で飛行機から降りたら、目の前で待っていた神戸市バスに乗せられてターミナルビルに向かった」との記述があった。

空港だけではない。着いた翌朝ヤンゴンの街に出てみると、いたるところで見慣れた塗装のバスを見かけた。京都市バス、阪急バス、神奈川中央バス…バスとすれ違うワゴン車にも、「藤原とうふ店」・「イヅツベーカリー」・「社会福祉法人あすなろ会」といった文字が書かれている。自分が今いったいどこの国にいるか分からなくなるほど日本の中古車で溢れかえるミャンマーの街角風景であった。

車もいいが、ミャンマーに来たからにはミャンマーの鉄道に乗っておきたいという方も多いかもしれない。おすすめはヤンゴンの市内環状線。愛知の名鉄、石川ののと鉄道、北海道の北海道ちほく高原鉄道といったローカル線で走っていたレールバスや軽快気動車が次から次にやってくる。鉄道ファンのなかでもローカル私鉄ファンと言われる人種にはさながら楽園というわけだ。この他にも、旧首都ヤンゴンと地方都市を結ぶ路線では旧日本国鉄の急行用ディーゼル車であるキハ58が活躍している。

ただしミャンマーは先ほども書いたように厳しい軍事政権が治める国。警備の兵士がいるところでうっかり列車やバスの写真でも撮ろうものなら、あとあと厄介なことになりかねないので注意が必要である。

このように、本来のミャンマーは、少し昔の日本を走っていた懐かしい列車やバス、車がのどかな南国風情の街や村を走る姿がいい絵になる場所のはずである。だが、現実はそうではない。

イギリスによる長い植民地支配や太平洋戦争中の日本による占領といった複雑な経緯を経て1948年に独立したビルマ(のちミャンマー)だったが、独立後の歩みは植民地時代にもまして過酷なものになった。

建国の父アウンサン将軍が独立前年に暗殺された後、共産主義勢力による軍事独裁政権が長くビルマ国民を支配した。その後アウンサン将軍の娘であるスーチー女史らが民主化運動を始め、1990年の総選挙では民主化を進める勢力が大勢を獲得したが、軍事独裁政権は選挙結果を無視して、民主化勢力が中心となった議会の招集を拒否したばかりか、民主化運動の活動家を弾圧し、国民を再び恐怖に陥れた。彼らは国名をビルマからミャンマーに改め、民主化運動の中心であるスーチー女史を軟禁したことをはじめ、何人もの運動家に拷問などの弾圧を加えた。

そして2007年9月28日現在、ミャンマーでは燃料の値上げに端を発する反政府デモが発生しているが、軍はデモに参加した市民や僧侶を容赦なく拘束し、時には銃撃も加えており、多数の犠牲者を出す状況になっている。

最後に、軍事政権によるデモ鎮圧で亡くなられたミャンマー国民と邦人カメラマンのご冥福をお祈りします。そしてスーチー女史が軟禁状態から解放され、ミャンマー国民が本当の自由と平和を手にすることができますように。

15.5連勤終了
というわけで今日は12時半に退庁した。入庁以来初のビッグイベントもあとは報告書を残すのみである。

最後になりましたが、アルバイトに参加してくれた皆様、その他イベントに携わった全ての方へ、本当にありがとうございました。
2016年夏季五輪招致レース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070914-00000313-yom-spo
2016年夏季オリンピックの開催を目指し、このほど7つの都市がIOCに立候補を届け出た。
・東京(日本)
・バクー(アゼルバイジャン)
・シカゴ(米)
・ドーハ(カタール)
・マドリード(スペイン)
・プラハ(チェコ)
・リオデジャネイロ(ブラジル)

本音としては、日本国家の威信を賭けて東京へのオリンピック誘致を成功させ、国民一同でもう一度夢を見たいところである。だが、この春に卒業旅行でドーハ経由でヨーロッパを周遊してきた身としては、潤沢なオイルマネーを元手にしたリゾート開発が話題のドーハや、東欧の京都とも言うべき美しい街並みを誇るプラハでの夏季五輪を見たいと思うのもまた人情である。

そういえば、7月に2014年冬季五輪の開催地がロシアのソチに決まったのは正直残念だった。

何故か?

・もし韓国の平昌がこの大会を誘致していたら?
大半の日本人が夜更かしや早起きをせず、テレビ観戦を楽しめた。いや、韓国開催と言うことは、欧米で開催される場合と違って直に観に行くのも容易かったろうと思う。

・もしオーストリアのザルツブルクがこの大会を誘致していたら?
各国のサポーターや選手団が観光を楽しんだことだろう。また、現地に行けない人々も、オリンピックテレビ中継の途中に挿入される美しいザルツブルクの街並みに癒されたことだろう。

藻岩山ロープウェイ
20070902112416
片道5分間の空中散歩を楽しみながら再び下界へ。降りたら路面電車に乗り換えて西四丁目に行こう。
札幌市電で出かけよう
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昨日はすすきののホテルに投宿後、顔で笑って心で泣いて北海道の海の幸を貪り食い、ある人に電話して今の気持ちを共有してもらった。

今日はすすきのから市電に乗って行動開始。珍車M101号でロープウェイ入口まで20分。ロープウェイの始発時刻まで時間があったのでロープウェイ乗り場付近のろいず珈琲館で遅い朝食。

今は藻岩山展望台観光を終え、下りのロープウェイを待っているところです。
仕事のご褒美と
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心の傷薬ということで今日は飛行機で一泊旅行に出かけることにしました。

搭乗フライトはANA1719便関西空港発札幌新千歳空港行き。

機材はB767-300で、18:45に搭乗開始予定。

何でも出発がもう1日早ければ、この便の機材は国際線のB777-200ERだったそうで少し残念。

まあとにかく、職場が繁忙期に入る前に、めいっぱい楽しんできます☆
防災訓練
今日は市役所の防災訓練。なぜか自分がバケツリレーのリーダーを任されたが、仲間たちと協力して何とか勤めあげることができた。

思うに、みなそれぞれのやり方で活動に協力できて何よりである。

こんな自分に協力してくれた同期50余名と関係部署の皆様にただただ感謝あるのみである。

自分は日頃、人は好きだけど怖いという相反する感情の狭間で揺れ動くことが多かったが、今日の訓練を通し、今後は以前よりも人を長い目で見たうえで、気持ちを落ち着かせるよう努めて仕事ができたらいいなと思った。

今関西空港交通のバスで浜寺ランプ付近を走行中。
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