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久しぶりに教習ネタ
今日終了時点で、残るは所内・危険予測・自主経路・高速・山岳のみ。順調に進んでいるように見えるが、はっきり言って依然あらゆる操作が下手なままである。調子にムラがある俺?(某教官談)なので今がたまたまスランプなだけなのかもしれないが、適切な視野の取り方、路駐の回避、前車のウインカーやブレーキ灯への反応の鈍さなどかなりの課題をはらんだまま路上は一旦お休みという形に。明日は朝からバックと方向変換練習。

ちなみに今日の自主経路では、俺含め3人の教習生が話し合ってコースを決めるということになっていたようだが、チェックポイント付近の土地勘があるのが俺だけということで他の2人はコース作成を俺に実質丸投げする形になった。まあコース自体はすぐ決まったし、大雨に巻き込まれたものの無事生還したので別に問題はないのだが。
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道の駅於福


8月21日
湯上がりは昔懐かしいあめゆもといひやしあめ(関西ではアイスでもホットでもこう言うんです)で締めましょう。個人的には風呂上がりにはオロナミンCが一番だと思うのだが。

気になる温泉の方は心地よい湯加減だった。外は小雨模様だったが、しっかり露天風呂にも入った。客は地元民や一服のドライバーが中心で、列車利用の人間は恐らく俺一人だろう。一つ提案なのだが鉄道の駅から道の駅まで傘をささずに歩ける通路を作ると、ローカル鉄道の活性化にも繋がってよろしいと思うのだが、いかがだろうか?

あめゆ片手にテレビを見ていると、「新潟県中越で震度5」との速報テロップ。火山国に生きる我々は至る所でこういった温泉を楽しめると同時に、絶えず襲来する地震に日々脅かされている。嗚呼、ふと思うに自然環境ほど容赦のない皮肉を生み出すものはこの世界に存在するであろうか。
福に於いて?
於福駅

8月21日
何とも響きの良い駅名だろう。美祢線の於福駅(山口県美祢市)。日頃いろいろとお世話になっているある先輩の親御さんの田舎がこの辺りにあり、何度もこの界隈の温泉のことを話に聞いていたので今日はこの駅前にある「道の駅・おふく」で一風呂浴びることにした次第である。

どうでもいい話だが、昨日乗った山口線は観光SLや新幹線に接続する特急列車が走る大動脈なのに、戸籍上は「地方交通線」という区分に甘んじている。これに対し、この於福駅が位置する美祢線は現在特急はおろか快速すら走っていないのに「幹線」の肩書きを与えられている。この謎を解く鍵は、途中の駅ですれ違った貨物列車。一見ひなびたローカル線に見える同線だが、かつては沿線で産する石灰石を輸送するという日本の産業上重要な輸送の動脈と位置づけられていたわけである。
まだまだ健在の0系
0系こだま

8月21日
前夜は新山口のビジネスホテルに宿泊。美祢線・山陰本線経由で下関を目指す予定だったが、寝坊したので厚狭まで一駅新幹線。車輌は今や大阪でもなかなかお目にかかれなくなった0系。塗色こそ往時のクリーム色に青帯という出で立ちから、JR西日本の新車に合わせたグレーに黒と黄緑帯という洒落た塗装に衣替えしていたが、乗り心地はかつて幼児期に東京―新大阪間の帰省で利用したひかり号のそれとさして変わらなかった。厚狭駅は山陽本線と山口県西部のローカル線・美祢線の分岐駅として明治時代より栄えてきたが、新幹線が停車するようになったのはほんの6年前の1999年。
SLやまぐち号
SLやまぐち号

8月20日
津和野に着いた俺は自転車を借りて、まず森鷗外記念館と森鷗外旧宅、西周旧宅を周った。鷗外記念館を出ようとすると突然盆地に列車の音が響くのが聞こえた。見ると木々の間を特急「スーパーおき」が走り抜けて行く。ざっと津和野の市街を回って思ったのだが、この界隈には素晴らしい鉄道写真が撮れるポイントがいくらでもありそうだ。当時の国鉄が山口線をSLの走行線区に選んだ理由が何となく分かった気がする。

昼食後は山上の稲成神社と乙女峠でのキリシタン殉教に関する資料館を見学してから自転車を返し、再び駅へ。

いよいよここから鉄道好きなら誰でも一度は憧れるSLやまぐち号の旅が始まる。俺の座席は1号車の展望車風客車。指定された座席に着席して数分待った後、15時10分に新山口(小郡)に向け発車。
長門市行きは待ってくれなかった
長府駅にて

8月19日~20日
路上教習と実家での夕食の後、新大阪駅から夜行快速「ムーンライト九州」に乗車。毎度のことなのだが夜行快速は夜の時間を有効に使えるのが嬉しい反面、昼の列車と同じような普通の座席で寝るのが難儀なので困る。

かくして一路西下を開始した列車だったが、姫路で接続列車待ちのため予定よりも長く停車した。「ムーンライト九州」は停車駅が少ないので、途中飛ばせば簡単に遅れを取り戻すことができるだろうと思いその時点では特に何も気にしなかった俺だったが…

翌朝、ひどい寝不足の状態で下車の支度を始めていると、「当列車は25分遅れで運転しております」とのアナウンス。何?でも下関5時47分発のの山陰線長門市行きは待ってくれるだろう。そう信じる俺を乗せた列車は下関の市街地に近づいていた。そこへ無常にも次のような放送が…「5時47分発山陰本線長門市行きは接続しません。次の列車を御利用ください。」何だよ、これでは今日の予定を一部カットせねばならないではないか。次の列車までまだ1時間近くあるよ。それまで退屈だ。近くの駅でも巡ろうか?

てなわけで翌朝6時15分頃、私はこんな所にいた。下関市内の城下町、競艇でもおなじみの長府。

実際の行程
新大阪―(ムーンライト九州)―下関―(山陽線)―長府―(山陽線)―幡生―(山陰線)―長門市―(山陰線)―益田―(山口線)―津和野
帰ってきました
今日の夕方、ようやく自宅に帰って参りました。

一応概略的に報告を
8月19日夜行快速ムーンライト九州で新大阪から下関へ
8月20日アーバンネットワークでのダイヤ乱れが響き、下関到着が20分以上遅れる。山陰線の接続列車が接続を待たずに発車したため金子みすずの故郷仙崎での街歩きを断念。
津和野市街地で素晴らしいロケーションのSL撮影地を見つけるも、リバーサルフィルムを持ていない。何てことだ。その後のSLの旅については語り尽くせない感動があった。
8月21日天気は雨。道の駅於福(山口県美祢市)で温泉タイム。美祢線沿線では湯ノ峠、長門湯本の温泉にもいつか行きたいもの。
長門市から山陰線周りで帰ったわけだが、雨は徐々に強まる一方。下関の2つ手前の綾羅木と次の幡生の間では線路、沿道ともに冠水。床下浸水の家もあったはず。幡生から下関までは時速15キロの徐行運転。
唐戸市場で旨い魚を食べてから船で対岸に渡り、そこからJRで博多へ。夕食は某サークル宿泊会場でもつ鍋。
8月22日ヤフードーム、平和台球場跡等を見てからANA1706便で関空へ。

画像は明後日以降にアップしますのでしばしお待ちをお願いします!
阪神VS横浜@大阪ドーム
路上教習が終わった後はこれこそ待ちに待った阪神横浜戦である。某大学の野球好き有志はみな帰省か旅行中とあり、観戦のお供は2転3転した末父親に決まった。かくして券が余るという最悪の事態は回避された。

ただ京都でいくつか野暮用があったために大阪ドームへの到着が遅れてしまった。到着したのは1回裏、バッターボックスには藤本という所だった。よって先制の3点は見逃すことに。

安藤(まさか先発とは思わなんだ)が三振に倒れて2回表ベイスターズの攻撃に入ったわけだが、この回初頭に連打で2点が入ってしまう。折角3点入れたのにまた負けパターンかとすかさず野次が飛ぶ。野次の主の予感?は適中し、その裏我がタイガースはアニキが併殺に倒れ無得点に終わる。そして続く3回表初っ端にベイスターズ佐伯と多村の連続ソロホームランが出てベイスターズが満員の虎ファンの前で堂々の逆転に成功。3点入れても4点取られるとは何ちゅう野球してんねんとまた野次が。その後数回に渡り、三者凡退に終わる虎戦士達を見る度に後ろの男性客の野次はどぎついものになっていった。スコアボードを見ただけでも、今日の虎戦士達にはベイスターズ打線と比べどうもいい当たりが少ないのがよく分かる。おそらく他のタイガースファンの大半も口にこそ出さなかったが、彼らと似たような気持ちを抱きそうになったことだろう。

一度はすわ負け戦かと思われたこの試合が大きく動いたのは風船飛ばしの終わった7回裏。代打で起用された檜風呂(本当は檜サウナ)でお馴染みの片岡が今季1号ホームラン。さらに赤星のヒットと鳥谷のタイムリーもあり5-4とタイガースが再び勝ち越し点を挙げたのである。

このまま逃げ切れるのかと思いきや、8回表にベイスターズ小池の犠牲フライで再び同点に。これで9回タイガースサヨナラ勝ちなら美味しいだろうなと思ったが、両者一歩も譲らず試合は延長へ。

そして迎えた10回裏。関本、藤本が出塁した後矢野の劇的タイムリーが出て、6-5、試合はタイガースの勝利に終わった。

勝利後のインタビューに出たのは矢野のみ。片岡も呼んでくれよと思うのは俺だけではないだろう。あと、勝利の影で心配なのは先制点をたたき出した今岡。この試合で彼は2回以降は三振ばかりで、一部観客から容赦無い野次を浴びていた。ファン一同で彼の復調と彼の活躍による優勝を祈りたいものである。
待ちに待った路上教習
いよいよ待ちに待った?路上教習の時間がやってきた。このようなことがないように、弟や妹には教習所が比較的空いている春休みの免許取得を勧めるつもりだ。車両各部を点検したあと、念願の?路上に出る。教習所の前の道は結構幅が狭いのだが、案外すんなり入れたと思う。それから2度右折して幹線道路へ。

ところが幹線道路で2つの大きな問題が発生する。速度のメリハリが全然付けられない。後続車が次々隣の車両通行帯に入り追い越しにかかる。おやおや、どうも速度計に目が行かず知らぬうちに速度が大きく落ちていたようである。俺はチキンではないぞとばかりに気合いを入れて速度を上げる。すると「君、出し過ぎと違うか」と教官の注意が。結局今日は車の流れに上手く乗れぬまま教習が終わってしまった。

あと、京都の道路は路上駐車が多いこと甚だしい。おかげで数回の進路変更を強いられる。教官無しには進路変更のタイミングを図ることなどとてもできない路上教習1日目でした。
紀ノ川のほとりで
昼食の後軽くコーヒーを飲み、それからJRで和歌山市へ。そこから幹線道路を南西に向け歩く。博物館やラジオ局が並ぶ区域を抜けると少しずつ潮の香りが強くなってきた。この辺りは紀ノ川の河口、そして和歌山港からかなり近い区域のようである。

それもそのはず、この幹線道路に沿うような形で南海電車の和歌山港線という鉄道路線が走っている。この鉄道は大阪と和歌山を結ぶ南海本線と、和歌山-徳島間を結ぶ南海フェリーを結び付ける役割の他、大阪湾岸の工業地帯の延長にあたる和歌山市ベイエリアの工業地帯(花王とかあったはず)や倉庫街への通勤客輸送を半世紀近くの間担ってきた。

幹線道路が堂々たる高架の紀ノ川大橋と交差する地点のすぐ傍らに、人知れず小さなホームが佇んでいた。ここが駅だと知らなければ、誰しも気付かずに通り過ぎてしまうという言い回しが丁度当てはまるといって差し支えないだろう。ホームの上では「くぼちょう 久保町」と太字で書かれた駅名板が懸命に余命幾許もない自らの存在を主張しているように見えた。

この駅は元々、1956年の和歌山港線開業当時に周辺の工場や倉庫への通勤客の利用を見込んで設置された。しかしお決まりのパターンだが駅の設置からほどなくして日本国内では自動車の普及が急速に進み、通勤客は次第にマイカー利用にシフトして行った。筆者は昔のダイヤについてはよく知らないが、現在この駅に停車する電車は昼間は普通のみ1時間に1本。どこかの映画ではないが、はっきり言ってこれじゃあ働かない。1日の乗降客は100人もいないと言う。しかも駅員はおろか精算機すら設置されておらず、電車もワンマン運転なので、不正乗車し放題の状態である。運賃は車内の無人運賃箱(注)に出して下さい。まあ、言ったら運賃制度上厄介な存在なのだろう。3月まであった神戸電鉄の菊水山みたいに。

そういうことでこの駅は、他の2つの途中駅である築地橋、築港町とともに2005年11月27日限りで廃止されることになったという。通勤客がいないわけではなさそうなので神戸の和田岬線のように朝夕のみの営業とする手もあるのかも知れないのだが、ニベもなく廃止とは通勤客の数がそもそも知れているものなのだろう。

なお、この3駅が廃止されたら和歌山港線の役目はフェリー接続に絞られると言ってよいのだろう。この線の列車のうち普通は全廃されて、残るは大阪難波直通の特急と急行のみになるのかもしれない。

我々一行は久保町14時7分の和歌山港行きで一つ目の築地橋に行き、折り返しの和歌山市行きで和歌山市に戻った。時間の関係でかつてのフェリー乗り場があった築港町には行けなかったが、できれば廃止までに行ってみたいものである。

(注)運転士は運賃が払われているかどうかいちいちチェックしません。(実話)しかしよい子のみんなは絶対に不正乗車なんかしてはいけません。
この日の昼ご飯
今日の昼ご飯を和歌山ラーメンにすることは前々から決まっていた。しかし何処で食べようか?

ガイドブックを読むうち、有名店の一つ「井出商店」が和歌山駅から徒歩数分の場所にあることが分かった。時刻はお昼前。国体道路沿い、公団アパートの向いにある同店の前にはすでに行列が出来ていたが、ラーメン自体がすぐに食べ終われる料理であるためか意外にすぐ入店することが出来た。

席に座る前に500円の中華そばを注文する。ちなみにこの時早寿司(ばってらみたいなもの)も注文したわけだが、早寿司、めはり寿司、巻寿司は店員に注文するのではなく卓上のものを各自自由に取って後で精算すればよいとのこと。店のシステムが十分分かっていなかったせいか恥をかいてしまう羽目に。

運ばれて来たラーメンはとんこつ醤油ベースのこってりしたスープに細めの麺が特徴。まあありきたりなコメントだが、腹が減り過ぎていたせいか特に味わって食べたというわけではなかった。ラーメンはこってり目が好きな俺だし、今後和歌山ラーメンの食べ歩きをしてみるのもいいかも知れない。本場の寿司の方は普段大阪で食するばってらと違いさほど酸味がきつくなかったように思う。愛知県のセントレアでも尾州早寿司なるものをうっているらしくそちらとはどう違うのだろうか。

店内には藤原紀香のサインが飾られていた。つい最近母親の故郷である和歌山を訪れ、ここのラーメンを賞味したらしい。セレブ的な品々も、普段着のラーメン屋も格闘技も紛争地訪問もみんな似合うのが彼女のいい所だとつくづく思う。やばい、これ以上書くと大の紀香ファンの元彼女を思い出してしまう。(爆)
大池遊園の休日
盆休み初日の今日は和歌山でラーメン、鉄道三昧の一日に。海に行く話もあったのだが、あいにくの天気なので断念。

大阪駅7時55分の紀州路快速車内で、東京から夜行バスで関西入りされた某氏と落ち合い一路紀州徳川家の城下町として栄えた和歌山へ。普段の紀州路快速は和泉府中とか東岸和田辺りで少し空くのだが、今日は帰省ラッシュや行楽のためか車内は終始立ち客がいる状態。よって私は和歌山までの道中を立ちんぼで過ごす羽目に。

まず向かうは、先日岡山の路面電車を運営する岡山電気軌道の支援で設立された「和歌山電鐵」への経営引き継ぎが決まった南海貴志川線(和歌山-貴志)。この線区は戦前より現在の和歌山市、貴志川町の住民の足として長らく親しまれていたが、戦後に南海電鉄に合併された後、全国の他のローカル線同様にモータリゼーションで利用者減に苦しむことになる。

これに対し経営母体の南海電鉄は冷房付き電車の導入、ワンマン化による合理化、それから免許試験場前への新駅設置などと次々に増収策を講じていった。しかし乗客減に歯止めをかけることはできず、2004年夏同社は同線の運営から撤退する旨を沿線自治体に表明した。

地元自治体や住民らで組織する鉄道を維持するための協議会は、何とかして地域の足を残さねばとあらゆる方法を模索した。県単独での第3セクター鉄道設立が困難であると分かると、関係者は藁をも掴む思いで鉄道を引き受けてくれる事業者を探し始めた。

そしてこの2005年、路線の廃止まで数カ月となったある日、前々から申し出ていた岡山電気軌道が貴志川線の経営を引き受けることが正式に決定し新会社設立に至ったわけだ。来年には新会社での電車運行が開始されるという。我々はこのような状況のもと、最後の「南海貴志川線」を楽しんだ。

まばらな乗客を乗せて和歌山駅を出発した2両ワンマンの電車は、しばらくの間住宅地の中を走る。この路線には難読駅が複数存在し、車庫のある伊太祁曽(いだきそ)駅などはその最たる例であろう。伊太祁曽を過ぎる辺りから電車は山間部に。この辺りが40万都市和歌山市と貴志川町の境らしい。和歌山から約30分で終点の貴志に到着。同行の先輩は趣味の他、親戚の家や運転免許の用事で昔何度か貴志川線を利用されており、いろいろと当時の思い出を話して下さった。駅舎に同居する商店の3匹の猫に目を細めてから、すぐの電車で折り返すことにする。和歌山電鐵になってからでも再訪してあの猫にまた会いたいな。

和歌山への帰路、途中の大池遊園という小駅に興味を持ったので降りてみることにする。次の電車まで30分、辺りを散策してみることにする。遊園というのだから駅前には電鉄直営の遊園地があるように感じるだろう。しかし、実際の大池遊園駅の周囲にはその名の通りの巨大なため池と山林が広がっており、そこにまばらに人家こそ建っているものの遊園地らしいものは一見見当たらないかのように見えた。

駅構内では行き違い用の線路を撤去した跡と、廃虚もしくは物置に身をやつした待合室がかつての栄華を21世紀の今日に伝えているようだった。かつてこの乗客待合室(旧字体)で想い出話に花を咲かせた家族連れやカップルは皆何処に行ったのだろうか?そこではただ蝉の声が聞こえるのみであった。

駅を降りて西の方に向かう。5分も歩かないうちに、大池荘という旅館と遊具やボートの並ぶ公園が見えた。これがいわゆる遊園なのだろう。しかし桜や紅葉のシーズンではないためか、遊園には人っ子一人いなかった。池の向こうには遊具の並ぶ一角があったが、立ち入りが禁止されているのか対岸に繋がる橋の入り口には鎖がかけられていた。こうしてみると、この一角からは「廃虚になった元遊園地」以外の何ものにも見えない印象が感じられる。
(後日調べた所によると、今でも桜や紅葉のシーズンになるとこの遊園はそれなりに賑わうらしいが。ちなみにこの中には桜や紅葉をバックに池の上の鉄橋を走る電車を撮ろうとする鉄道ファンも含まれているらしい。)

貴志行きの電車が鉄橋を渡る様子をカメラに収めてから、我々は駅に戻ることにする。そろそろ次の和歌山行き電車がやってくる頃だ。昼ご飯は和歌山ラーメンがいいだろう。
トルコアイス屋の親父
しつこいですが今日も万博ネタをお送りします。

暑さに苦しむ我々一行は、いつの間にやら大型フードコートの前に来ていた。名古屋近郊在住で万博に足繁く通われている同行の方が言うにここのトルコアイス屋「どんどるまん」はお勧めだとのこと。実際万博会場の数ある飲食店の中でも指折りの人気らしい。(byどこかの雑誌か広報紙)しかしトルコアイスというのはコンビニでも買えるのでは?同行の方がおっしゃるに、あれは「トルコ風アイス」であって「トルコアイス」というものではないとか。どうやら私は大手食品会社に約2年間騙されて?いたようだ。

せっかくなので350円出してまず「日世のコーン」を受け取り列に並ぶ。このコーンを屋台のおじさんに渡して、アイスを盛ってもらえばいいらしい。列で先客の様子を眺めるうち、列の先頭から「カーン」という金属音が何度も聞こえるのに気付く。いつの間にか周囲には笑いを呼び起こす空気さえ流れている。一体その時列の先頭では何が起こっていたのだろうか?

トルコアイス屋を切り盛りしていたのは40過ぎぐらいの毛深い?トルコ人のおじさん。彼は棒のような器具の先に客から渡されたコーンをはめ込み、まるで客を弄ぶかのようにそれを巧みに振り回し、受け取ろうとする客の手元から遠ざけたかと思うとまた近づけたり…。という感じでアイスを盛り付け、客に手渡していたのだ。カーンという音は棒が金属物に当たって生じる音のようである。

どうやらここでアイスを食べようとする客は皆、アイスを食べる前にまず先客がおちょくられるのを目の当たりにして笑いを噛み殺し、その次に自分がおちょくられて戸惑い焦るという一種の儀式を経験しないといけないようである。この一連の儀式?はトルコアイスが普通のアイスとは違い伸びるアイスであるがこそできるパフォーマンスなのだろうが、おちょくられている間客は皆内心必死になっていたと思う。一見おじさんにからかわれているような気もするが、実際のところなかなか面白い店のように思えた。ただ子供とか俺のような良識的成人?には問題なくても、怖い人とかおちょくられるのがいやな人とか怒ったりしないのだろうか…少し気になった。まあここの遊び心が理解できない人はここではなく他所の店に行けばいいという話なのだろう。

気になるお味の方は雪見だいふくの様な口当たり。今まで千度食べてきた「トルコ風」とは明らかに感じが違うものだった。これから万博に行かれるのでしたら、皆さん1度お試しあれ!

ただ、私が食べたのは午後2時ごろ。つまり一番暑い時間帯だったので綺麗に食べるのに少々苦労したかもしれない。

参考URL http://www.tugba.co.jp/top_dondurman.html
兵庫県代表4年連続の…
 今日は朝に学科教習が2本。それ以外はずっと下宿にいた。それにしても路上デビューまでまだ1週間も間があることへのフラストレーションが徐々に強まる今日この頃。

 まあ、焦らず学科だけ進めましょう。ということで下宿で高校野球を観ることにする。第1試合では我が地元兵庫県代表の姫路工が山形の酒田南と当たるというので、その結果を知ろうと第2試合の途中でテレビを付ける。ようやく画面に映し出された第1試合の結果は10-2、どうやら我ら兵庫県勢は4年連続の初戦敗退を喫したらしい。去年は神港学園が横浜の涌井(現西武)にやられている様を旅行中に携帯ラジオで聴いたなあ。報徳、神港、東洋大姫路、育英など強豪校を擁する兵庫県勢がここ数年夏の大会で不本意な成績を残しているのは誠に残念な話だ。来年こそは12年前育英の快進撃で盛り上がった時の感動をもう一度味わいたい。
 
 さて、今日の第3試合は見逃せない。それもそう、部員の不祥事で抽選会後になって出場を辞退した明徳義塾の代わりに急遽甲子園出場が決まった高知高校と西東京の強豪校・日大三高が顔を合わせるのだ。先攻の高知は1回表からヒットを連発し、5回表に相手のミスも味方して2点を挙げたものの日大三の猛攻の前に2-6と敗れてしまった。来年こそは高知高校ナインに是非高知大会で優勝して甲子園に帰ってきて欲しいものである。

 にしても明徳義塾のようなお馬鹿さんには本当に呆れたものである。少年マガジンの最新号に出ていた、1942年の幻の甲子園大会(国策のため文部省が主催した非公式大会)での徳島商業ナインと監督の姿を見るとそのような念が改めて強くなった。今の明徳にはあの時の徳島商メンバーの爪の垢が必要であろう。

 今日の失敗。間違って部屋に暖房を入れてしまった。おかげで微妙に体調悪い…。
ネパール館
館内ではインド館のようにお香の演出が我々を待っていたが、ここのお香には家畜のような匂いが混じっていた。山岳遊牧国家のネパールらしい心憎い演出である。壁には国王夫妻の肖像が掛かっていた。

ここは物産の陳列・販売と軽食喫茶がメインのようで、我々3人はラッシーとマンゴージュースで水分補給。台湾旅行以来マンゴー好きになった俺だが、今回はラッシーで喉を潤すことにした。

ところでネパールの料理は名前が面白いものが多い。カウンターのメニューにはチャウチャウという犬のような名前の焼きそばやモモという果物みたいな名前のものが書かれていた。同行の先輩が興味もあってモモを注文、皆で食べることにする。出てきたのはスパイスのソースをつけて食べる小籠包位の大きさの餃子。気になる味はカレー味の餃子を想像して頂けたら分かると思います。
インド館
5年前に旅行してから何気に好きになったインドのパビリオン。インド館では辺り一面に漂っていた独特なお香の香りが印象的でした。近々部屋に焚くためのお香が欲しくなったぐらいです。もっとも今の大学において僕は人に招待される側にはなっても、人を招待する側にはなったことないんです。微妙に悲しい。
展示内容はインド哲学や自然の大切さを描いたインドの昔話、インドの風土、現代のインドといった感じです。そこから気になった内容を3つ。

・デリーでは環境に優しい燃料を使ったバスが意外に多い。
・ムンバイの弁当屋は欧米の経済誌に「素晴らしいビジネスモデル」と紹介された。
・インドには様々な品を扱うバザールがあるが、IT大国として知られるようになった近年は電子部品のバザールも出現するようになったという。…俺が思うにこれはインドの秋葉原?

残念だったのはインド雑貨を買えなかったこととラッシーとカレーを食べ損ねたこと。しかしカレーの方は2階の土産物売り場で戦利品としてGETしました。

祭りの後に待っていたもの
 体中に万博で目いっぱい楽しんだ疲れが残ったままバイトへ行くことに。ところが自転車をこいでいる途中で豪雨に見舞われ、スピードダウンを余儀なくされる。さらに運の悪いことに、桂駅で嵐山線の電車を15分近く待たされる羽目に。結果20分以上も大遅刻。残業も重なり解放されたのは8時40分過ぎ。これから夕食の時間込みで下宿まで1時間20分。ある意味名古屋より遠いバイト先である。

 バイトに行く途中の阪急電車内の号外で知ったのだが、衆議院で郵政民営化法案が否決されたらしい。身内の裏切りで自らの政策をふいにされた小泉首相は衆議院の解散を決意。総選挙は9・11実施という。これで自民党が分裂する、あるいは現行自民党政権にNOが突きつけられて民主党政権が成立するなど政変が起こる可能性が大きくなってきた。特殊法人改革が進められるのではという噂もあるそうだ。最近ニュースをめっきり見てないダメ人間な生活を送っていた私にはいまいち何のことか分からない話もあるのだが、庶民に課される痛みはなるべく小さいものであって欲しいと思う。
イラン館


最後はグローバルコモン1の未訪パビリオンを周って、念願の万博巡りはお開きにしました。このイラン館ではペルシャ絨毯や細密画が綺麗でした。また、チャイのスタンドもあります。
中国館にて


中国館の一角に、現地の小学生が書いた手紙が展示されていました。その中の1枚に「カードキャプターさくら」のキャラクターが。最近やたらと波風が立った日中情勢とは関係無しに、日本アニメは中国の若者を次々虜にしているのだ。

ちなみに中国館では毎日女子十二楽坊を思わせる女性楽団の演奏が。中国の女性楽団員はスタイルのいい人が多いようです。
楽しい日本語


1970年の大阪万博の時もそうだったというが、外国・特に途上国のパビリオンではスタッフの作業が雑なためか、日本語のフォントがいびつなものになっていることがよくある様子。これは中央アジア館キルギスタンブースで撮影。文字が躍ってます。和訳も無理があります。
いろいろと面白かった中央アジア館


友人お勧めの中央アジア館より。キルギスタンは、何と飛行機を国産化したらしい。このセスナ機が件の国産機の模型らしい。
ちなみにこの日(7日)は


夕方からEXPOドームに世界中のコスプレーヤー(この言い方で合ってました?)が集まり、「世界コスプレサミット」が開催されるとのこと。俺は行かなかったが、参加者と思しきゴスロリファッションの女の子に会場で遭遇。この券は先輩のもの。
一体何を触っているんだ


正解はオーストリア館に展示されている氷壁。触ってみるとつるつるする、そして何より冷たく涼しい。館内ではこの他にも森林をイメージしたゾーンや、そりやワルツの体験が我々を待ち構えていた。我々20代男性3人組が人前でワルツを踊ることはしなかったが、同行の先輩は木製のスロープ上でソリ体験を楽しんでいた。このソリの存在は開幕前のNHK番組で聞いた気がする。ソリ体験を横目に、私は先輩の友人(もう1人の同行者)とザッハトルテを楽しむ。小3の時に食べて以来の味というわけでもなく、本場のものより甘さこそ抑えられていたが。

当館でさりげに面白かったのはパンフレット。よくオーストラリアに間違われて困っているからということなのか、パンフレットでは「オース鳥ア」の表記を使ったり、巻末の統計データの紹介に「国内のカンガルー0匹」の一文を載せるといった遊び心たっぷりのPRがなされていた。
そろそろお昼時


昼食はコーカサス協同館(アゼルバイジャンとかグルジア(英語スペルはジョージア?)とか)で摂ることに。Aセットを注文したわけだが、ビーフケパブに本場のヨーグルトとケーキが付いてきた。味のほうは日本人向けにアレンジされているためか結構美味しかった。
アイリッシュビールは飲めませんでした


次に入ったのは割合空いていたアイルランド館。U2の祖国としても知られるアイルランドだが、ケルト民族の伝統的音楽と現代音楽とを融合させたジャンルの音楽(ケルティック・ロック)が存在するという。また、祭祀に関する展示も充実していた。
そろそろパビリオンの方へ


乗り物関係が続いたので、そろそろパビリオンの方の紹介に移ります。最初に入ったのはEXPOドーム近くのポーランド館。

目玉はポーランドのPR映像と世界遺産「ヴェリチカ塩山」の再現。映像の主な内容は帝国主義・ファシズム・共産主義などによる長い抑圧の時代を経て、明るい未来へと発展を続けるポーランドの現在と時代の変化の中を生き延びてきた雄大な大自然、ショパンの名曲。
IMTSの車体


ストラスブールのLRT(新型路面電車)みたいな丸っこい車体。トヨタプロデュースらしく車に似通った印象を受けるのは私だけではないだろうか?
IMTSの切符


万博の開幕から既に5ヶ月以上経っている(=閉幕が近づいている)のに未だに記念券というのは何故?
実は鉄道・・・IMTSに乗車


万博の北ゲートとEXPOドームを結ぶ一見バスみたいな乗り物・IMTS。でも実は鉄道として免許を交付されているという話。運転席と客室の境はこのようにガラス張り。よく見ると運転席の脇にはキッコロ人形が鎮座。
グローバル・トラム


長久手会場内を一周する高架通路「グローバルループ」上を移動する3両連結のバッテリーカー。
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