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二子山親方死去
午前中は特殊講義の一環で、自転車で街中走り回る。

んで夕方からはバイト、最近やけに残業が多い。より多く稼げるようにという親心は嬉しいが、正直嵐山と出町柳の移動は酷だし疲れる。

大相撲の二子山親方死去。現役時代は兄の初代若乃花(先代二子山)からいじめまがいのしごきを受け(まあそのおかげであのように出世したとも言えるが)、度重なる故障や病気で遂に横綱になれぬまま引退。息子2人が横綱になった後も「洗脳・絶縁騒動」、憲子さんとの離婚劇など苦労の耐えない人だった。がん発病の背景にはこうした苦労による心労がなかったとは言い切れない…そう思うと生前の故人の胸中を思い心が痛む。
ここに謹んでご冥福をお祈りします。

初代若乃花は末弟&愛弟子に先立たれるとは思わなかったろうし、大鵬も現役最後の一番で自分を倒した後進の早すぎる死を悼んでいた。力士として、また親方として相撲界に一時代を築いた親方の訃報は相撲界のみに留まらず、各界に衝撃を与えた様子。
某スポーツ紙ではサッカーの三浦カズも追悼の言葉を述べていたし、細田官房長官も追悼のコメントを発していた。

ところで喪主は若貴兄弟のいずれが引き受けることになるのだろうか?彼らは揃って師匠&父の棺を部屋に運び入れたらしいが、ふと立ち寄ったコンビニのスポーツ紙では彼らの不仲が伝えられていた。
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大魔神・エノカナご成婚
野球界といえば、数日前ハマの大魔神佐々木主浩投手が女優の榎本加奈子と再婚したことを公表。しかも彼女は先月早産で佐々木の子を出産していたとか。ぜひ幸せな家庭を築いてほしいものである。

ちなみに私は中学3年のころ榎本加奈子の大ファンで、「P.A.プライベートアクトレス」や「可愛いだけじゃダメかしら」を毎週楽しみに見ていた。それなのに家庭教師の先輩は「俺は榎本が嫌いだ」と言って真っ向から私の好みを否定したものだ。彼は安西ひろこのこともボロクソにけなしていたし。

今では矢田亜希子、浜崎あゆみに乗り換えて久しいが、最近では去年の昼ドラ「虹のかなた」で泣かせてもらったことが記憶に新しい。しかし彼女ももう子持ちの人妻なのか。かつてアイドル通だった人間にとって今回の結婚劇は衝撃的なニュースとなった。
阪神楽天戦、略して神楽戦
本来ならば、私が日曜日に真っ先にやるべきことは朝鮮語の予習である。しかし時折分からない言葉が出てきたりするうえ、実家で過ごす日曜とあり一週間の疲れがもろに出てきたりもするのでこの予習は大概不十分なものになってしまう。

その代わり今の私が日曜に楽しむのは野球中継。今日のタイガースは仙台のフルキャストスタジアムで東北楽天と対戦。ある意味ボーナスゲームともいえるこのカードだが、昨日の対戦では安藤が投手戦に力尽き痛い1敗を喫してしまった。今日の相手投手はエース岩隈。これは決して甘く見てはいけない相手だなという不安は初回からの得点により解消された。結局その後はタイガースがコンスタントに得点し、終盤楽天に追い上げられつつも勝利を手にしたわけだが、気になることが一つ。

それは、初めて中継ぎを任された阪神新人の能見投手。彼は短時間に2本のホームランを打たれ早々に降板。前の日ハム戦ではすばらしい投球を見せていたのに、今日はどうしたのだろうか?実況によると調整不足だそうなので、念入りに調整を重ねてまた元気な姿を見せてほしいものである。
SLに歴史あり
今日は朝も早くから、某サークル新歓行事の一環で京都の保津峡と亀岡で列車の撮影。帰路は11年振りにトロッコを利用。

トロッコ下車後はトロッコ嵯峨駅前の美術館で休憩を取るが、この美術館にはSLが保存展示されている。保存されている5両のS
Lの中には面白いものが2両あったので紹介しておく。

1、D51ー603号機
御存じ「デゴイチ」(「ごくせん」主題歌の歌手ではない)の603号機。時は1976年、同機は日本に最後まで残っていた北海道のSL貨物列車を牽引した経歴を買われ、どこかで正式に保存されることが内定していた。ところがそんなある日、機関庫が火災に襲われ同機は前方の僅かな部分を除いて焼失してしまう。同じ機関庫で被災した同僚の機関車が次々廃車処分になる中、なぜか同機は処分保留になった挙げ句前の所有者の手に渡り、そこから今の安住の地に移ったと言うわけだ。ちなみに保存にあたって焼失した車体後部を解体廃棄したため、今この機関車は貧ぼっちゃま(懐かしい)さながらの状態で観覧者の前に鎮座している。

2、若鷹号
ホークスファンが反応しそうな名前の機関車。神戸の鷹取工場で長年にわたり若手職員の教習用に使われていたものだが、設計したのは後に新幹線生みの親として知られることになる技師の島秀雄氏。

夜は実家で「エンタの神様」を鑑賞。
夏休みの計画
特殊講義の一環で、自転車に乗って比叡山中腹の京都滋賀府県境付近まで行く。歩道のない山道とあり、行き交う路線バスや大型トラックに死を覚悟。

途中まで件の客員教授も様子を見に来られたわけであるが、そこで私は彼から終始「おいアンガールズ」と呼ばれることに。これは芸能人のそっくりさんコーナーに出ろと言うことか?原宿や渋谷を歩いていたらスカウトに捕まるかもw

私は大学の4年間を通して他大学にしか親しい女友達がいないまま終わるのだろうか?と悩む今日この頃。それでも昨日言っていた女の子から返事が来て嬉しかった。

それはそうと夏の予定が決まりそう。前々から言っている自動車教習所に行く見込みが立ちつつあり、その合間に某サークルで山口、福岡への旅行。アジア(台湾、香港、タイ、マレーシア、シンガポール)への個人旅行?を企画していたりする。あと万博も阪神戦も行かなあかんなあ。

多忙なので、某サークルの飲み会は欠席。勉強の前に日記を記入しようとしたが、何とサイトが鯖落ち。気持ちが萎えた状態で就寝。
いまいちすっきりしない1日
レポートを出そうとしたら、テーマを勘違いしていたことが発覚。これでまた来週の日程が悲惨なことに。

教習所の説明会…今は行く暇ないです。もっとも来月か再来月の入所が確実になりつつあるのだが。

未だに研究室の女子と深い関係になれない。そしてまた自虐モード、止めてくれる友人がいるだけ幸せ者だな。授業のほうも今のところ何とかなりそうだし。

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脱線事故1ヶ月
光陰矢のごとしと言うが、時の経つのは本当に速いものである。あれから1ヶ月目の「25日9時18分」が巡ってきた。

あの朝、よもや自分の知人に犠牲者は出ているはずは無いだろうと私は思った。それだけに、直接の知人では無いものの弟の友人の兄の友人(たぶん大学生)と父の友人の同僚(三田市の会社員)が犠牲になったことを知った時のショックは相当なものだった。震災の時は知人の犠牲者はいなかったのに…

日本スピンドル・尼崎市中央卸売市場など近隣の企業や事業所、住民が救助活動をする一方、JR西日本の対応には終始まずさが目立っていた。しかし、社内にはダイヤを修正して事故前より余裕のあるものにするなど再発防止策を日々練っている方も多いはず。今度こそ悲劇を繰り返さない鉄道会社作りを目指して欲しいものである。

しかしJR西日本が今後どうなろうと、107人の失われた命は戻らない。生存者にも顔に一生消えない傷を負った人・足を失った人・今なお重態の人がいると聞く。また、軽傷で済んだとしても心の傷は外傷の具合に関係なく辛いものだったりするという。

ちなみにマンションの件についてはこう思う。このまま全世帯が引っ越した上で解体撤去というのもどうかと言う気がするのだ。

例えば広島では原爆で多くの人が死傷した場であるデパートや電車が今なお現役で使われている。(そのデパートを建設したのは父親の前の勤務先)
宅間守に襲われた附属池田の校舎だって改装されたものの現役であるし。

もちろんあの場所に慰霊碑を作るのは言うまでも無く死者を悼み、悲劇を記憶すると言う意味で当然の行為である。だが、現にマンションに留まって慰霊を続けたいという住民もいるので、彼らの意見を充分考慮する必要もあるのではなかろうか。

いずれにせよ今、我々個人個人にできることは、献花台に出向いて冥福を祈ること、あしなが募金で遺児の奨学金を支援することぐらいしかないのが現実なのだが。JRの不乗運動をするのも悪くは無いかもしれないが、代替交通手段がマイカーしかない、私鉄で行くと時間やお金がかかりすぎるなどの理由があるのでこの運動を徹底するのは実際そう簡単でないと思う。

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2週連続残業
今日の仕事は速く終わりそうなペースで進んでいた。8時には帰りの電車に乗れるはずだった。
ところがある事件が起きて結局終了は8時25分頃。阪急は15分待ち。ダッシュで嵐電の駅に急ぎ、大宮で河原町行きに乗り継ぐことにするが、結局阪急嵐山で15分待った場合と同じ電車に乗る羽目になった。これだから京都の公共交通はクソである。今出川通りに地下鉄があれば、嵐山から30分で出町柳近辺まで行けるのに…

京都は観光都市だが、実際に住むとなるとあらゆる意味で不便であるということを忘れてはならない。マイカーがないと、京都では生きていけないな。混んでいない道路を選んで移動すれば、確実に目的地に早く着けそう。

この茶番劇のおかげで疲れて勉強にならず…
起きたのは11時過ぎ。1週間の疲れが出たようだ。朝鮮語の予習が捗らない。

そういうわけで?今日はテレビで野球とサッカー。日本代表はドーハの悲劇を思わせるロスタイムの得点でペルーに負けてしまった。これではW杯出場がヤバイのではと思ってしまう悲観的な俺。

しかしサッカーの借りを返す形でスカッと勝ってくれたのが阪神タイガース。今日も金本アニキがホームランをたたき出し、ソフトバンクに殊勲の連勝。

夜はお約束の義経。矢口真里の交際相手は梶原景季(悪役として名高い梶原景時の息子)を演じていた。
歴史的勝利
バイト後、授業の本を上本町まで買いに行く。大学生協で上巻のラスト一冊を入手した友人が羨ましい。それを言ったら私も丸善で下巻のラスト一冊を持って行ったわけだが。(当然のことだが、金は出した)

夜はお笑いと交流戦観戦。今日の阪神タイガースはソフトバンクホークスと対戦。場所は敵地Yahooドーム。まだここが福岡ドームと呼ばれた2年前の秋、タイガースは結局ここで一勝もできずに日本一の座をホークスに渡した苦い思い出がある。いわば「因縁の対決」の2戦。タイガース打線はアニキの2本のホームランなどによって敵投手和田を血祭りにあげた。試合結果は8ー2でタイガースの勝利。2年前の雪辱が幾分か晴らされ、歓喜の気持ちが溢れ出して止まらない。ただしテレビ大阪は7回で中継を止めたが。
エロスと恐怖、ウルトラ級
昨日下のように言ってはみたが、ブログの種類は実に多いので選択に苦労しそうだ。台湾旅行のエアラインや自動車学校はまだ選択肢が限られているのに。

研究室担任教授の授業で官能戦争映画?を見せられる。野戦病院における手足の切断シーンが生々しくて画面を直視できず。先頃の電車事故で両足を失った大学生が出たせいもあるのだろうか?友人もこの映像は受け付けない様子だった。
この授業でぶっ飛んだ発言をしてしまい、笑いを浴びる。メンバーがまだ心のおける人ばかりなので良かった。鬼教官とか生理的に合わない奴がいたらどうなったことか?

夜は某サークル新歓コンパ。新入生や先輩、同級生と歓談。明日はバイトなので高校の後輩2名とともに実家に帰る。
少し気分転換
先日10000ヒットを迎えた現行の日記を近くブログに改築します。
だって今の日記だと過去ログを見づらいから。過去ログにも結構有益なことが書いてあったりするし。
(注)旧日記からの転載。現在鋭意こちらのブログに過去ログ転載中。

気分転換のため京阪の鳥羽街道・伏見稲荷・深草周辺を歩いてみる。疎水沿いを電車が走る風景はいい絵になるものだ。今年の京阪は義経で盛り上がっているが、その一環で運行されているラッピング特急「義経号」にも遭遇した。気分転換は成功と言いたいが、帰宅後は疲れのため勉強進まず…

それからニュースより。木の枝って凶器になり得るんですね…

明後日は朝から家庭教師。明日の夜コンパ後に実家に帰ろう。
嫌いなタイプの人間
昨夜の残業やサークルの黒板書きの影響で、2限に著しい支障。
微妙にフラストレーションが溜まった状態である。

だから今日は少し重い話題。自分の嫌いなタイプの人間についてである。

自分が悪かったからなのか、はたまた巡り合わせが悪かったからなのか、これまで21年(実際はもう少し短い)私はいろんな共同体でトラブルに巻き込まれてきた。まあ近年のそれの最大の原因は、発達障害(主にコミニュケーションその他の能力上で重大な欠陥を持つ高機能自閉症・アスペルガーとは少し違う)に関連する空気の読めなさだということが大体分かっている。

近年になり、「君が教えてくれたこと」「光とともに」といったドラマの放送・ネット媒体の普及などもあり、こういった障害への理解は増えつつあるようだ。ただ、未だにこういった障害を持つ人に対する理解が足りず、いじめや白眼視に及ぶ者がいたりする。

彼ら彼女らが、我々のことを理解しようと努力を重ねる途上にあるのならまあ良かろう。ただ我々が努力していることを理解しようとせず、ひたすらストレス発散の的にしているような奴は許せない。私の高校ではそんな奴がのさばって有名大学に行った。こういう人間が何も罰されずにエリートコースに乗れる世の中は正直改善の必要があると思う。


あとは八方美人な奴らか。まあいわゆるいじめの首謀者タイプということね。いじめをやる人間は二つに大別されると思う。

1つは何か大きなコンプレックスがあるのが他人から見ても明らかに分かる人間で、コンプレックスに追い詰められた結果自分より弱いいじめられっ子の存在を見つけていじめに参加してしまう。
しかしコンプレックスに苦しむと言うのは、人の痛みが分かる可能性を同時に有していると言うことでもあり、年月がたてば自分がいじめた人間と分かり合える可能性が大きい。小学校や中学校の時私をいじめた人間にはこういうタイプが多かったと思う。

しかしもう1つは許せない。客観的に見て明らかに恵まれている。勉強が出来る、女の子にモテる、家に金がある…。仲間内での評判も上々。友達も多いほう。一見悩みはなさそう。
なのに何が気に食わないのかターゲットを見つけて、自ら率先していじめたがる。ターゲットは発達障害の傾向のある人、動作が遅い奴、運動オンチの奴、気の弱い奴、ルックス受けの悪い奴、自分の間違いを指摘した人ってなところだろう。しかもこういう奴に限って教師の受けがいいので、被害者の親が担任に相談しても彼の下でいじめに加わったヒラのいじめっ子が処罰されるだけで、ボスである彼は処罰されなかったりする。

厳密に言うと、彼らにもコンプレックスの種はあったりする。たとえば、いつも成績は2番か3番。どうしても抜けない奴がいる。同級生のXの彼女の方が自分の彼女より可愛い。とか。つまり彼らはいじめで自分の権威を誇示する一方で自らを「余裕無き2番手」と見て苦しむというわけだ。事実高校の成績トップは私とむしろ友好的だった。私をいじめた奴は成績良くてもいつも彼にテストで負けていたはずだ。

しかし「上には上がある」と言うことわざがあるように、人間何事も一番になるのは思っているより困難である。一番でなく、二番三番でも御の字ではないか。充分感謝するに値するではないか。こういう時人に追いつこうとあらゆる手段で自分を磨く人は
正しい人間だが、ずる賢く人を追い落とそうとしたり弱いものいじめをして自分を誇示しようとする奴は人間として大事な何かが欠けているとしか思えない。

こういうずうずうしい奴が、高校にいた。また、1回のとき大学のクラスで私を疎外した面子の中にもいたかもしれない。大学のクラスのことについては明らかに私にも非があったと思う。しかしもう少し寛大な人が多ければなあという気もする。だったらクラコンとかも今でも続いていたろうに。隣のクラスが羨ましい。まあ、あんなクラスだったが結局複数の友人ができて同じ研究室に配属されたことだけは本当に感謝しているのだが。

あとは大学で、会話に鉄道のネタが出るたび嫌悪感を顕わにした奴、クラスの掲示板で鉄道好きをバカにしていると取られかねない書き込みをした奴、性格もルックスもストライクゾーンを大きく外れた女(こんな奴に彼氏がいたら俺は呆れる)…

こんなことを言っていたら、ある人から「憎しみは愛情の裏返しだぞ」と言われてしまった。どうやら嫌いな人間は無視するのが一番のようである。メンチを切るにも因縁つけるにも値しないってことだな。こうやって忠告するにも。

嵯峨野ハイキング/アンガールズ(過去ログ2005-5)
今日の京都は肌寒い朝を迎えた。友人宅で目覚め、しばし自室で仮眠した後嵐山で某サークルのツアーに合流。清滝まで愛宕山鉄道平坦電車線(1944年廃止)の跡に沿って歩く。電車が走っていたようには到底思えない急坂のところどころには、架線柱の跡が残存していた。長く狭いトンネルを抜け清滝着。

ここからは同じく愛宕山鉄道の愛宕山へのケーブルカー(1944年廃止)が出ていた。両線は戦時中の金属回収を理由に廃止されたのだが、もし戦後に復活開業していれば清滝や愛宕神社へのアクセスが今とは比べ物にならないぐらい便利なものになっていただけに惜しい。清滝には打ち棄てられた旅館や商店の廃墟が数軒存在したが、戦争による鉄道の廃止さえなければこれらの宿や店が今でも盛業していたかもしれないと思うとつい歴史の皮肉さを呪いたくなってしまう。

帰宅後しばし阪神楽天戦を観戦。読売テレビが中継を中断したのには憤りを覚えたが、まあ勝ったから良かった。ちなみにある後輩は甲子園へこの試合を観に行っていた。サッカーの神戸も2ヶ月ぶりに勝って一安心。

今夜はアンガールズ出演番組が3本もある。TBS系夜7時の爆笑問題の番組、めちゃイケ、チューボーですよ。である。チューボーですよで彼らは「女子高生・女子大生にキモ可愛いと人気」と紹介されていた。えっ、俺ってキモ可愛いキャラなの?最近随所でアンガールズの田中に似ていると言われる私は悲喜入り混じった感情を覚えた。キモさがあるのは正直痛い。しかし、「キモ可愛い」という言葉にはプラスの意味もあるので、それを売りに人から親しまれるようになりたいと言う気持ちも実際またあるわけだ。だからこそ、アンガールズには今後も頑張ってもらいたい。
野球と音楽(過去ログ2005-5)
なぜか男3人でカラオケへ。プロ野球がらみの名曲ばかり歌う。

今のところ私が歌える球団歌はタイガース・マリーンズ・カープ・ホークスのみ。巨人以外はなるべく早めに覚えたいものだ。UGAではオリックスバファローズの新球団歌やいざゆけ若鷹軍団のソフトバンクバージョンがまだ無い様子。

今日初めて知ったこと。チャゲアスの「NとLの野球帽」が、先ごろ名誉回復が認められた元西鉄ライオンズの池永投手をモデルにした歌だったということ。
尼崎電車事故から2週間
死者107人、重軽傷者400名以上。日本の鉄道の安全神話を大きく揺るがしたあの惨事から気付けば2週間が過ぎていた。

愛する人を亡くした遺族の方を、心身両面で重い後遺症を背負った乗客の方々を、あるいはマンションでの平穏な暮らしを奪われたマンション住人の方を思うたび心が痛む。今週に入ってからはイラクの人質事件により報道の量が減り始めたが、前々から言われていたJR西日本のいじめにも似た日勤教育や、経営者の利益優先安全軽視の姿勢に対するマスコミや市民からの激しい批判は今なお続いている。

今回の事故でふと思い出したのだが、今日は航空界から一つのエピソードを紹介しておくことにする。

1966年3月上旬のある日、ところは東京の羽田空港。

その夜の羽田空港付近には濃霧が立ち込めていた。そのため、着陸を予定していた旅客機の多くが東京湾上空で霧が晴れるのを待つか、他所の空港に目的地を変更するかの決断を迫られた。

その中に2機の旅客機があった。香港発東京経由バンクーバー行きのカナダ太平洋航空(現在のエア・カナダ)DC8とどこか海外の空港から東京を目指していた日本航空のDC8である。

前者の機長は一旦は台北への目的地変更を決断した。ところが、気が変わったのか客からの非難を浴びたからか、結局東京羽田空港への着陸進入を開始することに。
一方、後者の機長は濃霧の中での着陸は大きな危険を伴うと判断し、福岡空港への目的地変更を決断。機体を西に進めることにした。しかし、そうなると今夜のうちに東京に着くことは難しくなる。当然乗客からは次々に非難の声が起こった。

さて、怒った乗客らを乗せた日航機は、夜の福岡空港に何とか着陸。とりあえず日本の地を踏めたからまあいいかと思って降機した彼ら彼女らは、ターミナルビルに入るや否や衝撃的なテレビニュースを目にすることになる。

「報道特番・羽田空港でカナダ航空機墜落、炎上」

そう。前者のカナダ機は濃霧の中で着陸進入中、高度を下げすぎて空港と海とを隔てるコンクリート護岸に激突。爆発炎上してしまったわけである。この事故で乗客乗員64人が死亡、8人が重傷を負った。

燃える機体の映像を見ながら乗客は先程までの怒りや苛立ちなどすっかり忘れてこう思った。「最初福岡に降りると聞いたときは何で東京に着陸してくれないのかと腹が立ったが、そのおかげで今怪我一つ負わずに地上に降り立つことが出来たではないか。機長さん、福岡への目的地変更を決断してくれて本当にありがとうございました。」

当然のことながら、この日航機の機長は後で上司や重役から褒められたと聞く。それから日本の航空界にはこういった格言が生まれたそうである。「臆病者といわれる勇気を持て」

(詳細は柳田邦男「マッハの恐怖」に書かれています。私の記述には間違いがあるかもしれませんので、この一件について知りたい方はそちらを参照下さい。)

しかしこの格言は後に日航社内でも軽視されるようになり、この事故の6年後の1972年・労使問題や若手機長の不慣熟などが要因となり、日航はデリーやモスクワで連続墜落事故を起こしてしまう。

今回のJR西日本の件で、死亡した高見運転士から真相が語られることはもう永遠にあり得ない。しかし、利益優先・遅延を起こした運転士に対する日勤教育が、運転士を強く束縛していたことはもはや否定できない状況になりつつあるようだ。高見運転士が友人に左遷の不安をもらしていたこと、日勤教育による自殺者もいるということがこの事実を如実に表している。

また、オーバーランについても、高見運転士の技量の問題か体調の問題かと言われていたが、ここに来て事故車輌は日頃からブレーキの利きが悪かったという証言が出ている。

もし高見運転士がブレーキの不調を連絡していたら?車掌が非常ブレーキを作動させていれば?乗客たちは会社や学校に着くのが遅れて苛立ちを覚えたかもしれない。運転士も車掌も左遷されたかもしれない。しかし、ブレーキの調子が悪いということで電車の運転を途中で打ち切るか、ダイヤを乱すのを承知で徐行運転に切り替えるかしていたならば乗客たちの多くは今日も普段と変わらず出勤・登校していたことだろう。「臆病者といわれる勇気を持て」今この言葉が再び重い意味を持つようになったようだ。

とにかく、少なくとも今のJRには無理なダイヤと従来の日勤教育をやめる必要があるのは確かであろう。

交流戦(過去ログ2005-5)
久しぶりに野球をじっくり見ることができた。テレビ大阪で放送されていた札幌ドームでの阪神日ハム戦。御存知日ハムには元阪神の坪井・SHINJOが在籍し、古巣対決として注目されていたこのカード。2戦を終えて五分五分で最終戦を迎えたわけだ。

序盤は阪神先発新人の能見と日ハム先発の江尻が見事な投手戦を繰り広げる。能見は1回早々からデッドボールやフォアボールが重なりピンチに襲われたが、守備の協力もあり何とか相手の攻撃を食い止めた。それなのに中々打線の援護が無いので困ったものだと思いしばしやきもきする私。

しかしそんな不安は今岡様が吹き飛ばしてくれた。6回表に待ちに待った2ランホームラン。続けてスペンサーも8回表にタイムリー。4-0で日ハムを突き放す。これで能見のプロ初完封まで秒読みか?となった。

だが世の中はそう甘くない。勝利を目前にした9回裏にオバンドーのソロホームランを浴びてしまう。しかし完封こそ逃したものの、能見は9回を投げ切り阪神は見事4-1で勝利を収めた。

この日は他にも全国各地で熱戦が繰り広げられた。横浜ロッテ戦では絶好調のロッテが、18-0の記録的大勝利。相手が楽天だともっと取れていたろうとはロッテファンの後輩の弁。その楽天と巨人の裏日本シリーズや、新生オリックスバファローズの中日戦勝ち越しなど野球ファンにはたまらない一日になったと言って間違いないだろう。

野球に隠れて余り注目されなかったサッカーでは、最下位に苦しむヴィッセル神戸がジュビロ磐田に引き分け、ようやっと連敗を止めた。かつて清水エスパルスなどで采配を振るった名将レオン氏の監督就任による効果が少しずつ出て来たようである。
それにしても先月ホームでの鹿島戦連勝(リーグ戦)が止まったのは残念だったなあ。今の鹿島が強すぎるからだろうが。


台湾の大塚愛・王心凌
今日はこの間東京で買ってきた台湾のポップスCDについて書くことにする。

台湾の代表的なポップス歌手としては、先程日本デビューを果たした男4人組のF4、少年殺しの異名を取る女性シンガー・蔡依林(あゆみたいな感じ)、先住民族出身のポップスの女王・張恵妹(安室奈美恵みたいな感じ)、シンガポールから人気が飛び火した孫燕姿などが挙げられるが、今回私が購入したのは彼ら彼女らと並んで台湾で絶大な人気を誇る王心凌の最新アルバム「Honey」である。彼女は1982年台湾新竹市生まれの22歳、台湾の大塚愛的存在である。しかも所属会社が同じAvexである上、誕生日も近かったりする。あろうことかキュートなキャラクターまで似ているといえば似ているのだ。

ジャケットや彼女の衣装の配色はハートやさくらんぼ?を連想させる赤。収録しているナンバーの中にはJ-POPのカバーも3曲、そのうち8曲目の「愛的滑翔翼」が何と大塚愛の「桃ノ花ビラ」の台湾語?北京語?カバーである。正直私は3月台北駅地下街のCD屋で耳にして以来この曲のことが気になって仕方がなかった。帰国後ネットで「大塚愛 台湾」「桃ノ花ビラ 台湾」などと検索してみてこの曲と歌手の正体が分かったわけである。今改めて聴いてみて当時の感動が蘇るのが分かる。J-POPのカバーだけあって、中国語の「我的心」が「私」に、「愛イ尓」が「会いに」に聴こえて仕方がない。ついでに言うと「Honey」は「哈イ尓」に聴こえるし、随所に「往心裡」など王心凌(ワンシンリン)に似た発音の歌詞があって面白い。

もちろん標題曲の「Honey」とか4曲目の「木馬屠城記」とかオリジナル曲も可愛いさ満点で聴いて楽しいナンバーであることは言うまでも無い。

私の手元には他に台北で買った孫燕姿の「Stefanie」もあるので、今の私は台湾ガールポップ通目指して一直線状態である。次はJOLINこと蔡依林のCDが欲しいところだ。この間梅田のタワレコで売っているのを見かけたが持ち合わせが無く買わずじまい。
久々の日記&Mステ(過去ログ2005-5)
遅刻したとはいえ、結局演習は特に何事もなく終了した。
しかし準備の時間が足りなかったものだ。GWかGW前の暇な時間を使えばよかったのではとおっしゃる方もおられるかもしれないが、サークルの新歓やバイトが相当忙しかったのでそれどころではなかったのだ。

今日のミュージックステーションのゲストは浜崎あゆみ、大塚愛、愛内里菜。浜崎あゆみは両A面の新曲をメドレーで、大塚愛は新曲「SMILY」を披露した。前者は1人の女の子の2つの面を表現したナンバーで、電車事故の2日前に西宮北口のCD屋で買った。俺はやはり「STEP you」が好きかな。後者はこの間羽田空港で聴いたばかりの可愛いナンバー、できれば発売日に買うつもり。

9時からはアンガールズを見ようと同じABCで「笑いの金メダル」を見る。しかし、最近彼らはこの番組に出ていないようだ。明日の「エンタの神様」はちゃんと見よう。
2005年5月3日東京旅行
東名高速の大和辺りからはずっと起きていたと思う。三軒茶屋キャロットタワー、渋谷マークシティ、六本木ヒルズが次々車窓を通り過ぎる。六本木から官庁街は意外と近い。

東京駅からはひたすら電車の乗り歩き。総武線で西船橋に出てから東京メトロ東西線で都心に戻る。18年前地下鉄博物館に行くときに乗って以来の東西線だ。車輌は東葉高速鉄道1000系、元は幼児期の私が親しんだ営団地下鉄の5000系だったが、9年前の東葉高速鉄道開業に伴い改造の上同社に移籍した車輌である。この電車に茅場町まで乗車。

今度は馬喰横山から都営新宿線で本八幡に行くことに。再び千葉県に戻ることになる。少し時間があったので途中菊川という駅で降りてみる。この駅のある地域は「うしろの正面だあれ」の舞台だったはずだ。60年前は見渡す限りの焦土だったこの地域も、今や普通に住宅や事業所が立ち並ぶ東京下町らしい街並みに復興を遂げていた。駅出口のそばにはめしや丼まであったし。

本八幡からは京成線で都内の金町駅まで逆戻り。途中山陽電鉄の特急停車駅と同名の駅で電車を乗り換えたのだが、ここは都営地下鉄方面、上野方面、成田・千葉方面、千葉ニュータウン(印西市)方面、金町への支線が交わる「京成の要」というべき駅なのでいろいろな会社の新旧様々な電車が絶えず出入する。だから乗り換えの間中退屈することはなかった。

金町の一つ手前の柴又には有名な帝釈天がある。せっかく東京に来たのだから立ち寄りたかったのだが、時間の都合でパス。それから浅草線直通電車と日比谷線で北千住に出る。ちなみに浅草線沿線から北千住に出るには浅草で東武に乗り換えるのが一番速いが、私は人形町まで南下した。実は東京在住時代、親の買い物につき合って人形町に行ったことがあったので、その時の思い出に浸りたかったというわけである。

もっとも当時の記憶は日比谷線の古い車両が現役だったこと、京成のステンレス車がオレンジ帯だったことぐらい(要は電車の記憶しかない)なので、いざ人形町駅から地上に出ても特に感慨は湧かなかったのだが。

人形町からは東急車両の北千住行きと東武の普通を乗り継いで足立区の西新井で下車、ここから大師前まで僅か一駅の支線が出ているので往復することにする。それにしてもやけに年輩の客が多い。どうやら大師前にある西新井大師の縁日が今日らしい。西新井駅の案内板によると大師様は厄除けの神様とか。よし決めた、大師様に厄除け祈願をしてちょっくら縁日を冷やかそう。

てなわけで大師前での滞在を3分から23分に延ばすことに。大師前駅の近辺は東京23区といっても北の外れにあたる門前町とあり、大師様が見守っているせいもあるのかどこか穏やかな空気が流れている土地だった。牡丹展を少し見物してから本殿に参拝。このところ福知山線の惨事など厄が続いているので、皆の無災を祈願。私と参拝目的は違うが、黄門様こと俳優の里見浩太朗も明治座公演の成功を祈り、多額の寄付を行っていたようだ。
ここの名物は柴又帝釈天と同じく草餅らしいが、高そうなのでコンビニのオロナミンで我慢。ちなみにそのコンビニは駅前のサンクスだったので、ANAのEdyマイルも加算された。

大師前からは東武の大師線、伊勢崎線、野田線を乗り継いで大宮へ。他地方在住者にはあまり知られていないことかもしれないが、東武鉄道でもさいたま市に行けるのだ。ただし、さいたま市でも東武野田線沿線の地域(岩槻区、見沼区?)はかなり田畑が残っており、これまでソニックシティやさいたま新都心のイメージでしかさいたま市を見ていなかった私には少しショックだった。

それから湘南新宿ラインで新宿へ。西新宿のマクドで昼食。眠くて食欲そんなにないんだけど。食後は京王で東松原へ。この街は私が尊敬する紀行作家、故宮脇俊三氏のお膝元である。井の頭線は駅間距離が短いので、次の新代田駅まで歩いてから渋谷行きに乗車。一駅目の下北沢で小田急の急行に乗り換え町田まで。

町田に行ったのには理由がある。日本で数少ない台湾のポップスCDを扱っている業者があるので、何かいいCDがあれば買っておこうと思ったからだ。ここで目当てのCDを発見、購入しJR横浜線と東急線、京急線を乗り継ぎ羽田空港へ。この辺りでは夜行バスでの寝不足による疲労が極限になっていた。よって東急こどもの国線と東京モノレールの延伸区間(羽田空港第1ビル-羽田空港第2ビル)乗車を断念することに。

空港では実家への土産を購入してから、大塚愛のプロモが流れるモニターに見送られてスカイマーク207便(JAL1397便)関空行きに搭乗。ちなみに別のテレビでは静岡市清水区でヘリ墜落とのニュース、全く縁起でもない話だ。

18時、定刻から5分遅れて機体はプッシュバックされた。そこまでは良かったのだが、ちょうど夕方の出発ラッシュの時間帯になるので離陸を20分以上待たされた。JALやANAの機体がお先にと言わんばかりに離陸するのを恨めしげに見つめながら、演習用のプリントを読んで時間を潰す。18時22分に何とか離陸はしたものの、格安新興航空会社とありオーディオサービスがない。こりゃ興醒めだなと思っていたところへ飲み物に加え、チョコレートと飴とあられのサービス。お菓子のサービスがあるなんて今は亡きJASを思わせる。思えばあのJASも心のこもっていてなおかつ太っ腹なサービスが売りだった。ここはスカイマークにもう少し頑張ってもらって、新興航空会社らしい心のこもったサービスをより多くの利用者に提供してもらいたいものだ。

離陸から40分ちょっとで和歌山平野上空に到達。しかしここから関空へストレートに進入とはならず、淡路島・大阪湾を経由するルートを取ったため結局関空に15分遅れで到着。

ここからさらに伊丹空港近くの実家に移動しなければならない。
御存じのように福知山線が止まっているので尼崎行きのバスに乗ってもそこからの交通機関がない。しかたなくわざわざ梅田行きのバスに乗り、そこから阪急を使うことに。バスでもまた一波乱が。事故で阪神高速大阪港線が渋滞していたので、バスは湾岸線出島ランプで一旦高速を降りて一般道と堺線を経由した。実家に着いたのは午後9時過ぎ。

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