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自宅療養という名目で
 1日中部屋に籠りネットしたり寝たり片付けたり…。そうそう、倒れる前日にいくつかCDを借りた。倉木麻衣のベスト盤「Wish You The Best」、松浦亜弥の「奇跡の香りダンス」、GLAYの「時の雫」などなどである。

 あややとGLAYは昨日のMステにも出ていた。その中でGLAY初登場&メジャーデビュー10周年記念企画として過去のお宝映像が出てきたが、デビュー当時のTERUのメークは変に濃くてセンスが悪かった。まあここまでやっていくにはイメチェンが不可欠だったんでしょう。あややと言えば2浪中の大切な女性も最近あややにハマっているらしい。CMが可愛いとか言ってたなあ。人間気分転換は必要だ。私だって試験中でも気を抜く時は気を抜いたよ。

 そういえば今日は東急東横線の下りの大半が横浜行きになっているらしく、愛好家が沿線に集結しているそうだ。
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東横線部分廃止
 今日は随分気分がよくなった。愛想の悪い医者からでも薬は貰っておくべきである。まあその医者高熱の私が自転車で医院に辿り着いたことにビックリしておられたが。

 ところで今日は人口300万の大都市で一つの鉄道路線が使命を終えることになっている。東急東横線の横浜-桜木町間である。廃止理由は京浜東北線・横浜市営地下鉄と並行しているので客が少ないというからではない。確かにそれも一理あるだろうが、第一の理由は東横線があさって開業する横浜-元町・中華街間の横浜高速鉄道みなとみらい線と相互直通を行うことである。そのため現在高架の横浜・反町(そりまちではない)の両駅も地下に移る。まるで我が地元・神戸の山陽電鉄が36年前、神戸高速鉄道に乗り入れるため路面区間の兵庫-西代間を廃止し、長田駅を神戸高速鉄道に移管し兵庫駅利用者のため神戸高速鉄道に大開駅を作ったことと状況が似ている。

 今回桜木町の住民からは反対運動が起こった。理由は東急沿線に行くためにはみなとみらい線の馬車道かみなとみらい中央まで余計に数百メートル歩かされるようになる上、相互乗り入れによる値上げ運賃を払わされるようになるのだ。余計に歩かされるのはまだいいのかもしれないが、加算運賃に怒りの声が起こるのは無理も無いだろう。では36年前兵庫区や長田区の住民からもこのような運動が起こったりしたのだろうか?地元で神戸新聞の縮刷版を読んで調べてみようか?とにかく東京の南北線・三田線みたいにみなとみらい-横浜間を東急と横浜高速の二重戸籍にするとかいう手はなかったのだろうか?

 さて、この区間は高1の時私も乗車した区間だ。高松からサンライズ瀬戸で横浜に到着した私は、東横線に乗り換えてJRに隣接したこじんまりとした感じのターミナル・桜木町に向かった。これが最後の訪問になりそうだということで自動販売機で記念に切符を購入してさあ渋谷に出ようとするとカメラが無い。駅員さんに聞いてみると「電車のイスに置きっぱなしになってましたよ」とのことで私は幸いにもカメラを失わずに済んだ。あの時の親切な駅員さんは今どこで働いておられるか知らないが、拾ってくれた人ともども本当にありがとうございました。結果的にこれが最後の訪問になってしまったわけだが、1999年7月20日のこの出来事は今は亡き駅での思い出として一生心に残るだろう。

 開業から72年、この駅、この区間ではいろいろなドラマが生まれてきた。横浜大空襲では高島町の高架橋が焼け焦げ(跡が残っているらしい)、1951年に京浜東北線で電車が炎上した桜木町事件では隣の京浜東北線から逃げた客が東急の線路にも降りたかもしれない。そして開業当時から馴染みだった工業地帯の風景はランドマークタワーをはじめとする再開発地区・みなとみらい21に姿を変えた。その間車両も青と黄色のツートンカラーをまとった窓の大きい電車から緑の蛙型電車、銀の弁当箱型電車、銀に赤帯の電車と変わっていった。最後に東横線横浜-桜木町間へ、72年間お疲れ様でした。
ダウン
 夜中にいきなり悪寒がし、発熱した。体温を計ると39度4分。顔が熱く頭も痛く、放っておいたら脳症になりそうに思われた。夕方に病院に行くとインフルエンザの診断。予防注射したのにかかるなんて最悪である。ああ、バイトの下見がしたくても出来ないじゃないか。幸い薬を飲むとだいぶ気分が良くなった。
後期試験終了
 今日は私にとって試験最終日。1限から4限まで試験で埋まっている。しかも1限はあの忌まわしき鬼の中国語。しかし予想に反し教官は甘めの問題を出した。えっ、嘘やろ。私はそう思わずにいられなかった。ペンはすらすら走り、あっという間に50分が過ぎたが結局のろく慎重な自分は空欄を残したまま答案を提出することになった。でもこれで単位確保への希望が広がった…。

 しかし1限とは逆に2限の人文地理では予想していたのとは違う難しい問題が出て苦しめられた。これは中国語の勉強に時間を取られたせいもあるが、まさか得意な地理の単位が絶望的になるとは。3限の地域地理も少しヤバい…まあこっちは教官がいい人だというのに賭けよう。

 最後の4限・健康科学概論で割と良心的な問題を確実に解き、ほぼ単位を確実なものにして今年度の後期試験は終了。後期クラスの人間関係に悩んだり、長期休暇でもないのに旅行に行った割には割といい成績のようだ。但し、文系教科4つを落としたことがほぼ確実で中国語もまだ怪しいのだが。しかも私は一浪だから4年で出ないといけないのに…。(父親は5年で出たが現役)

 これでゲーム・ネットやり放題。解放だ~嬉しいな~。ということで夕方と夜はひたすら遊びまくった。さて、次はバイトを決めないと。2ヶ所から塾の口が舞い込んでいるのですぐに検討しないと。3月は南紀、横浜、飛騨、北陸、九州に、GWはできたら函館や北東北に行きたいので自分に合ったバイトがしたいのだ。ところで12月のバイトは…ああ、ちゃんと給料は振り込まれてましたよ!
あとは明日だけ
 今日の試験は1限に楽な奴が一つあるだけ。ちゃっちゃと片付けて箱に寄って帰るが、問題は明日の語学試験である。日記書いてから頑張りましょう。電子辞書も腕時計もお国のために供出され、テロリストを倒すための大砲の弾、戦闘機、艦船に姿を変えて遥か中東の地で玉砕したのです。甲子園の大鉄傘や各地のケーブルカー、エレベーター、先代の通天閣みたいに。あっ、言っておきますが最後の一文はネタです。それにしても勉強が捗りません。ああ、あの苦手教官にやられるよ~。
楽勝科目が片付いたが   
 今日の試験は昼からの楽勝科目のみだ。おそらく単位を落とすことは無いだろう。

 そこまでは良かったのだが試験後どっと疲れが湧いてきた。某サークルのBOXに行っても勉強は進まず、会話にうまく入れない。ここで学生部の話になって電子辞書の話をつい蒸し返して興奮しすぎてしまった。結果先輩方から少し顰蹙を買ってしまったかもしれない。非常に気分が憂鬱になる。

 でも一つだけ言っておくと、無くしたのはお前が悪いと言っても盗んだ奴(クラスの奴?教官?他の教室利用者?掃除会社?)の罪が免責されるわけではない。また、なくした人間が反省したってもう元には戻ってこないんだ。電子辞書は。もういい、済んでしまったことはいくら言っても仕方がない。
日曜なのに
 一日中試験勉強をせざるを得ない。明日の試験は楽な科目が1つあるのみだが水曜は4つもある。(しかも内一つは苦手な中国語)昼前に起きて音楽以外の娯楽をシャットダウンし勉強に励むが、退屈なあまり頭に入らない。

 岸和田で父親とその内妻による中3少年餓死未遂という凄惨な事件が発覚。この少年は継母のみならず実の父親にも裏切られて酷い仕打ちを受け続けた末、骨と皮だけの変わり果てた姿になったそうである。自分に対するいじめが無くなって?(クラスメートや同じ高校出身者の中には敵がいる可能性が高いが?)もう2年にもなるのに世の中は相変わらず暗い話題ばかりだ。

 思えば私が悪夢の高校生活を送っていた2001年辺りから急に凶悪な犯罪が増えた気がする。自分が辛い目にあっていたから余計にそう感じるのかもしれないが、2001年は前年末の世田谷の事件に始まり、えひめ丸事件、各地の連続児童虐待、池田事件、花火事故、米国のテロ…その他の凶悪殺人(首都圏の駅での暴行死ほか)。とあってそれらの加害者への怒りを毎日感じていた。特に連れ子を虐待して殺しても大概は傷害致死で済むので、殺した親や義理の親の側ばかり得をするのは納得がいかなかった。今度の夫婦も「殺害に至らなかった」という理由で、せいぜい10年前後の懲役で済むだろう。どうしてこういう人間ばかりが得をするのだろうか?

 とまあ勉強にも集中できず、やり場の無い怒りを感じる一日となったわけだが、やる気が出ないなら出ないなりにベストを尽くしましょうと言うことでほどほどに寝ることにする。
オフラインとテレビ
 昼前に起きて勉強するが、せっかくの休日なのに試験勉強一色というのはとにかく退屈で仕方がない。だからネットについつい浮気しているうち夜になってしまった。ネットがあるせいで集中できないんだ…怒った私はモデムの線を抜いた。すると…さっきとはうってかわって勉強に集中できるではないか。オフライン万歳!

 しかし次なる誘惑が私を襲った。モー娘。出演のポップジャムとあゆ司会のAYU READY?である。そろそろ時間だとテレビをつけると…どうも「チューボーですよ」に元モー娘。のメンバーが出るようだ。中澤のオバハンではありませんようにと祈る中登場したのは4年前に脱退した石黒彩。高校1年の時私が最も愛していた女性である。彼女がLUNA SEA真矢と出来ちゃった結婚をすると聞いて真矢への*意を抱いたのが懐かしい。

 で、直接関係はなく単に時期が同じだけなのだが、あれから悪夢のクラス分け、役員選挙での失脚、友人の裏切りで私の高校生活も破綻したのだなあ。それはさておき最近メディアに復活した彼女はナポリ風スパゲティをオーダーし司会者とトーク&調理を楽しむ。前回彼女が出ている主婦NO1決定戦は山形にいて見逃したので今日はじっくり昔の思い出に浸ろう。

 昔と言えば私は石黒が好きだった頃恋愛小説を作ろうと考えていた。ドラマ化されたその小説のヒロインを石黒が演じて、親友を矢田亜希子とあゆが演じて、後輩をなっちと矢口が演じて…と私は勝手に妄想していた。で、石黒引退後は矢田とあゆに乗り換えたわけである。高1の頃からほとんど好みが変わってないやないか。話を今日の番組に戻すが、彼女は結婚して料理上手になったらしい。1人暮らししてもろくに料理しない私って一体‥

 で、ポップジャムでは明日のライブでの娘。卒業が決まっている安倍なつみが娘。として最後の出演となった。今や彼女も22歳、脱退当時の石黒の年齢を超えている。押尾学や業界人との結婚説があるがどうなることやら。最初の頃は地味なルックスが好きになれなかったが、LOVEマシーンで好きになったなっちへ、とにかく6年間お疲れ様でした。ちなみに曲の方は前作ほど好きになれない感じだった。まあ実際私は彼女たちの曲よりも一部メンバーのルックスの方が好きなのであるが。
何が仏教官だ
 試験は昼までないが、朝からちゃんと机に向かうことにする。しかしやることが多すぎて思うように進まない。おまけにいざ試験となると、受講者の予想に反した問題が続出し全員が動揺してしまった。それでも何とか落ち着いて解けるところを解こうとするが結局単位が危ない出来に。学内有数の仏教官の単位を落とすなんて…情けない。と思い落ち込むが、数少ない友人も同じということでお互い安心する。

 試験後は某サークルで会報発行の手伝い。新歓号からは正式に私担当になるので今のうちに慣れておかないと。夜は例会とコンパだ。ああ、われら1回生3人は勉強できない。明日頑張ろう。
試験初日
 ちゃんとアラームかけていたのに日本国憲法は寝倒した。必死に自転車を走らせたが試験開始から30分を過ぎており入室を拒否される。「めっちゃ悔しい。」(銀メダリスト・田島寧子)

気を取り直して英語へ、どうも今年の英語の単位は確保できた模様。軽いグループがクラスのギャル軍団と話しているのは羨ましいが、そんなのはスルーで。ていうか私だって大人しいが決して陰気で堅い人間ではない。サークル活動は普通に楽しんでいるし。あゆやスポーツ観戦など軽めの趣味も持っている。彼女も合コンで知り合ったお姉ちゃんもいる。はああ、奴らには私の汽車旅趣味が理解できないようですわ。一度三連休パスや土日きっぷで東北や信越を周遊してみたら、一度白いかもめで長崎(黒いつばめで熊本・鹿児島、ソニックで別府・大分)に行ってみたら考えは変わると思うぞ。
 
 で明日は中国語の試験。発音記号が全くできないので欝になりっぱなし。ピンインは一か八かで間違える。漢字を先にやってくれた方が覚えやすいのに。
明日から試験
 昨夜は結局素直に寝て中国語には間に合ったが、決して楽しい授業ではないなあ。いつものようにサークルの仲間としゃべっていつものように授業。しかし今日の4限は眠かった。テスト範囲じゃないと最初から言ってくれよ!休んだのに。

 帰宅後はテスト勉強をしたいがその前にレポート。ああ、明日の試験は悲観的…。でもこんなことで音を上げてちゃ2浪のあの娘とイラクで奮闘中の自衛隊の皆さんに顔向けできねえ。
試験前は嫌だ
 昨日遅くまで起きていたので1限に遅刻。2回になったら1限は取らないで置こうか?いや、1限のおかげで2限に間に合うということを考えたら取ってもいいかも。

今日はクラス英語の最終日なので嬉しかった。まだ1回テストがあるが人を孤独に追い込み、東北の地に飛ばした奴らとももうすぐおさらばだ。(もっとも本人は旅行を楽しんでいましたが?)谷村新司に似た人の提出フロッピーを紛失し、人の電子辞書を回収せずDQNに盗ませた日系人の教官とももうお別れだ。

 さて、3限は休みだったが1から4まである日は疲れて勉強にならない。しかも明日の1限のために徹夜せざるを得ない可能性が大。
1つ片付いた
 2限に後期最初の試験あり。しかしあまり出れてない教科だったので自信はほとんどない。3限の教官は試験範囲を絞ってくれた。これで前期の雪辱が果たせる!(私は前期彼の教科で範囲が限られていたのに単位を落とした)

 4限休講の間に旅行会の宿泊候補地に連絡を入れようかと思ったが、下宿の机のそばに置いた筈の電話番号を書いた紙が全然見つからない。思いっきり凹んでしまった。自己嫌悪の感情が爆発する。

 気を取り直して勉強に励むがやることが多すぎてどれも皆中途なまま…
小6同窓会
 朝昼は久々に勉強しまくったが同窓会のため夕方・夜は兵庫に帰省。河原町のチケットショップにあゆのライブ8000円の掲示があったが持ち合わせがなく断念。平日だったら簡単に下ろせるのに。

街頭募金に協力し、いざ阪急で地元へ。会場の居酒屋は某関東系デパートが撤退を決めたショッピングセンターの近く。勉強疲れのためか酒をあまり飲まずに昔話や近況報告に花を咲かす。しかし中学から神戸の私立に行った私は周りの会話に入り損ねたり、話題が見つからなかったりで少し浮いてしまう場面もあった。

それでも小6時のクラスメートは口がきつい奴(何気に親友といじめ役が約一名入れ替わってたりw)もいたがみんないい奴で何よりだ。次は来年と言わずに2浪組の合格祝いを激しく希望!そういうことで名残惜しいが終電で京都へ。寝る前には神虎さんと電話。
慰霊とセンター試験
 今日であの忌まわしき阪神大震災から9年になる。あの時私は小5で、怪我こそなかったものの家の瓦や外壁が落下したりあちこちに物が散乱した部屋の片付けに追われたりした。その日は一日中テレビの前に釘付けだった。父親とドライブした高速が倒れて、地元のなじみのある駅が崩れて、ドライバーや宿直警官が死ぬなんて…。関東で震度5を経験したことがあったとはいえ、この惨事は数ヶ月間にわたり私に多大なショックを与えた。

 幸いにも私の住むA市は大阪市よりは大きな被害を出したが、川の向こうの街よりは格段に被害が軽かった。また、塾の友人に激震地在住の者がいたが知り合いに死傷者は全く出なかった。

 それでも全壊家屋がいくつか発生したため、当時憧れの女の子が篠山に一時疎開し私の親友の1人が東大阪に引っ越す羽目になった。地震さえなければ一緒に卒業し、今度の同窓会でも会えたろうに…。そう思うと今でも残念だ。

 親友の予期せぬ転校の話は東日本周遊のMAXときで隣の席に座った老婦人にも話した。(私が兵庫出身と分かり自然に震災の話になった)彼女からは「仲良しの友達に会えなくなるなんてさぞ残念だったことでしょう」との言葉をいただいた。

 さて、考えてみるとこの体験はあの時あの程度の被害で済んだからこそ口に出せたのではなかろうか。自分の境遇に今一度感謝すると共に亡くなられた方々の御冥福をお祈りします。(廃車になった阪神・阪急の車両たちも、自分的には御影で築堤と一緒に崩落した阪神8000系の新車の姿が痛々しかった。)

 それからセンター試験、予備校時代から付き合いのある女性と私の妹が寒い中受験することになっている。みなさん焦らず自分のベストを尽くしてきて欲しいものである。春は目の前だ。
レポートが進まない
 12時過ぎに起床し、某名物教官のレポートに取り掛かる。しかし一体具体的にどういうことを書けば単位がもらえるのか分からずいたずらに時間だけが過ぎていく。加えて既に完成したレポートを提出しに大学に行く用事があったので、夜になるまで試験勉強ができなかった。しかも今夜はMステと米倉涼子主演の「奥様は魔女」をすかさず見てしまう。もうダメポ…。

 そういえば、朝食用のパンを買いに言ったコンビニで電車のおまけ付きの「エクスプレスライナー」という食玩を見つけて買ってしまう。中に入っていたおまけは例の仙台行きの際に乗った「はやて」だった。次は白いかもめを当てたいものである。
悲劇の1限
 水曜1限の中国語も残すところ後2回だ。絶対遅刻したくない。そう思って昨夜午後10時半過ぎに仮眠したもののまったく寝られない。30分で起きて比較宗教史のレポートを手直しするが終わった時には午前2時を回っていた。まあ、体内時計があるだろうから授業に行く時間には目が覚めるだろうと思ったがなかなか眠れない。でようやく眠れて目が覚めたら午前9時26分。万事休す。早寝だ仮眠だと努力を払ってもこの授業には魔物が棲んでいるのか毎回遅刻してしまう。そういうことでかなり凹んでしまった。ほかの遅刻常習犯は皆さん今日は初めからそろっていた御様子。クラスの主だった人間は皆朝に強くこの授業に間に合っている。私がクラス一の不運男ってことに異議はないでしょう。
 
 まあここは気を取り直して後の授業に臨みましょう。ということで終わったことを悔やむのは止めることにした。そういえば昼ごはんを学食で取るのは久しぶりだ。何せ昼食はボックスでサークルの皆さんと駄弁りながら食べるのが一番なもので。

 帰宅後はテスト勉強とレポートが待っているが、4コマ出たら疲れてやる気が起こらない。ようやくモチベーションが…と思ったら午後11時。もういやになっちゃうな。
火曜はいつも堪える
 何とか1限には間に合った。早起きは三文の得というがこの授業の教官は古都の自然に関する話がいつもうまい。しかもこの科目前も言ったが楽勝科目らしく、「三分の一しか出てなくても普通に考えれば十分な試験答案になる」と教官自ら公言した。その言葉忘れんなよ。by遅刻魔A

 しかし2限では驚愕の事実を知らされることになる。私がせっかく書いた比較宗教史レポートはそのまま出すと教官の要求と若干ずれた内容になりそうだとか…。全部打ち直す…何をいまさらそんなこと。弱ったなあ。

 3限は晴れ男教官のスポーツ実習。外は寒くて寒くて仕方がなかったが何とか試験をブービーの成績でクリア。だがバテて頭が少し痛い。来年以降スポーツは自主トレしかしないつもりだ。

 しかし、火曜の授業で一番苦痛なのはやっぱりこれだろう。「クラス指定の英語」これ最悪。クラスに決まってくっつく友人がいなく、どの派閥にも入れていない私にとって和気藹々とした雰囲気の中で1人淋しく受けるクラス指定の授業は苦痛極まりない。頼みの綱の隣の友人は今日も自主休講…。あんたヤバいんじゃない?

 しかも今のクラスで私に好意的な人間よりも良からぬ先入観を持ってそうな人間の方が多い気がする。これ冗談じゃない。本当っぽい。事実クラスの派手なグループの中には私をわざと避けている椰子が…。これは高校末期のいじめと紙一重。前期「GMK'taipei君って楽しい人だね。サングラス似合ってるね」と思っていてくれたであろう友人10人以上が今は「GMK'taipei…あんな一人ぼっちできもい奴(以下略)」と思っているように思えてならない。一体首謀者は誰だ!言っておくが俺にはクラスが駄目でもサークルがある。

 まあとにかく性格ブスな女、脳天気な奴、思いやり知らずの奴…と今月限りで別れられるのはせいせいする。ただ、もっと仲良くしたかったなあと思えるいい奴も10人強はいたので彼らには感謝したい。
*2005年6月2日転載
成人式
 親友が言うには夜食を抜くと腹が減って早く起きられるらしい。その結果今日は辛うじて午前中に起きられた。

 さて、我が地元兵庫県某市では今日成人式が行われることになっているが、新成人の私は結局行かなかった。もちろんレポートに追われているからであるが、もう一つ、高校時代に私に対するいじめを行ったDQN2名に会うのがいやだったこともある。話によると1人(許せない首謀者)は地方の大学に行きもう1人(ヒラ)の進学先は不明とのことである。しかも奴らは最寄り駅も同じだったから、このままでは私は海外にでも留学せざるを得ないかもしれない。

 だが、念のため言っておくと地元の人は決してそんな奴ばかりではない。ネットサーフをしていると突然携帯が鳴った。小学校時代の親友からだった。彼は周りと話題が合わず、合ってもコミニュケーションが下手で、パニックを起こすこともしばしばでクラスで孤立することも十分あり得た私を救ってくれた恩人である。電話口ではみなさん何やらがやがや騒いでいる様子。本当楽しそうである。ああ、俺も行けばよかったなあと少し後悔の念が襲うが、どうせ来週の同窓会には出るんだからもういいや。みんな会いたいわ~(某ドラマの明石家さんま風)

 昼間は青春メッセージを少し見たが、私はADHDの劇団員と不登校経験者の女子高生のスピーチに似たような境遇を持つ者として感動した。それからレポート用の本を探しに図書館に行くがあいにく休館。仕方なく下宿でテスト科目の勉強をするが…進まない。夕食に天一で800円のラーメン&骨付き唐揚げセットを食べて気分転換を図るが大した効果なし。明日は早いしもう寝ましょう。
*2005年6月2日転載
 
生活完全崩壊
 起きて時計を見ると14時44分。おい、日付変更線まであと10時間切ってるぞ。それでも済んだことは気にせずレポートに勤しむ。今日やるレポートは某サークルでおなじみの教官の「地域地理学(日本)」である。何度か長い休憩を挟みながら資料収集と打ち込みを翌日午前0時に終わらせた。これで単位が取れるだろうか?以前苦労してレポートを作った教科を55点で落とされた二の舞は絶対に避けたい。
レポートに集中
 余計なキーに触れ、打ち込んだ文章が2度も消えてしまった。こんなだめ人間だからすぐ職を失うんだ。ああまた自信がなくなった。

 未明にサイトの更新をしながらこんなことを考えていると寝るのが遅くなり、起きたのは13時。とにかくレポートを急ぐぞ!ということで食事もろくにせずレポートを2本片付ける。毎度のようにネットや趣味に浮気してしまうがそれでも早く作業できるところは早く作業して時間のロスを抑えたつもりだ。これで6レポートのうち3つが片付いた。だが実家まで2時間で行けるのに成人の日は帰れそうもない…。
あゆのアルバム
 2限は寝倒して3限から授業に出席する。それで昼休みと夕方はサカつくを楽しむ。お前大丈夫か?という状態だが、兼部先の面々とピザの夕食を楽しんだら速攻下宿に引き揚げる。今日からはまじめにレポートに取り組もうというわけだ。

 ところが…この日の夕方私は「CDお年玉セール中」の大学生協であゆのDVDアルバム「Memorial address」を購入していた。よってそれを聴きながら作業することになる。そのせいで余計にレポートの進度が落ちたかもしれない。しかしまあイギリス近現代史の方は完成した。バンザイ。

 で、アルバムの感想はというと私は1曲目の「ANGEL'S SONG」を気に入った。何と言ってもあゆはかわいいし詞も素晴らしい。DVDにはライブのダイジェストがついていたのでライブの券を取れなかった私にとってほどよい慰めになってくれた。アルバムも手に入ったことだし明日も頑張るぞ。

 
退屈な毎日が・・・
 今日から授業が再開される。2限は休講になったので一旦兼部先のBOXに入り、心機一転3限に出るが休みボケで身が入らない…。

 そんな休みボケの中、4限のクラス指定の英語では私たちのグループが前で進行役を任されることになった。えっ、次回じゃないの?と思っていただけにボロが出てしまったが、残り時間の関係上授業を早く進めたい教官からは何も言われなかった。

ただ、ある軽い男子生徒が会話の中での中に私の悪い噂だろうか?「こいつ嫌われ者だからな」と言っているのが聞こえてムカついた。気のせいかも?気のせいであるよう祈りたい。

 まあ私にはサークルという居場所があるのだ。それも2つも。というわけで今日は晩飯をサークルの先輩と学食で摂ることにする。冬は鍋でしょ!ってことでカキ鍋を奮発する。一度広島でカキのフルコースを食べてみたいがいつになるやら。まあ貧乏学生は学食のカキ鍋で我慢してろってことだろう。

 食後は試験前なのに兼部先でPS2のプロサッカーチームをつくろうをやってしまう。帰宅は10時過ぎ。さあ、これからレポートだ。それで寝たのは午前3時過ぎ…。
明日から授業
 早めにレポートに着手しよう。そういうことで図書館に入り、レポートにぴったりの本をパソコンでしばらく探してみる。やっと見つけた本はどうやら地下の書庫に鎮座しているらしい。書庫なんて入るのは入学以来初めてだ。わくわくしながら地下に降りると開架式の本棚がずらりと並んでいたが、想像したより狭い感じだった。まあ各学部の図書館を入れたらもっと広いのだろうが。もっと広いであろう国会図書館を一度見てみたいものである。ともあれ目当ての本を見つけたり、新聞の縮刷版を見たりで久々に図書館を楽しんだ。

 本探しの後は市バスの忘れ物センターに昨日バスに忘れた携帯電話を取りに行く。どうも高岡で充電ができずやむを得ず電源を切ったままポケットに入れたところ、気付いたらバスの床に落下していたようだ。無事に携帯との再会を果たして下宿に凱旋する。それからは寝るまでレポートの準備とネットサーフ。
旅の終わりは・・・(2004年正月旅行vol3)
2004年1月6日
 高岡朝5時44分発の城端線始発に乗る。車両は急行型だったのでぐっすり眠ることができた。もっともぐっすり眠ったのは往路だけで、復路は車窓風景を楽しんだ。ちなみに朝の通勤輸送に備え列車編成は4両と長かった。高速道路に負けずに今後も頑張って欲しいものである。

 高岡に戻った後は氷見線に乗車。海沿いの絶景・雨晴海岸からは海をバックに立山連峰が見られるらしいがこの日はあいにくの雨のため、立山は霧の中に隠れて見えなかった。帰路は福井行きの普通までまだ時間があるのでJRでまっすぐ高岡まで帰らずに工業地帯の中の能町駅で降りて少し歩き、新能町から加越能鉄道改め万葉線の路面電車で高岡に戻った。どこかの市バスとは違い、年季の入った電車は高岡の街をスイスイ走る走る。一時は廃止の話が出たこの線にも間もなく低床車が入るそうだ。今後の更なる発展に期待しよう。

 本当はこれから金沢の兼六園に行きたかったが時間がないので断念した。というのも兼六園を断念してまで乗りたい私鉄があるのだ。

 芦原温泉で北陸本線を制覇した私は高橋愛の街・春江で下車し、ひたすら西へ歩いた。その私鉄とは…事故で廃止された京福電鉄福井鉄道部を引き継いだえちぜん鉄道である。ところが…歩いても歩いてもえち鉄の線路は見えない。そうこうするうちに三国港まで行って福井まで戻ってくる時間がなくなってしまった。芦原温泉から三国方面行きバスに乗り換えたら良かったのにという方がおられるかもしれないが、私の今年の抱負は「皆さんが驚く駅に降りる」である。2~3キロは歩いただろうか?ようやく鷲塚針原駅(福井市)に到着。

 その後2つの中間駅に降りて福井に戻ってきたわけであるが一部の電車に女性添乗員(アテンダント)が乗っていたのには驚かされた。現在ワンマン電車が主流のローカル線において、このようにお年寄りや障害者など交通弱者へのサービスを優先しているえち鉄に福井の明るい未来を感じ取り?名残惜しいが私はJRの福井駅に向かった。今度は全線乗ってやるぞ。

 ところでこの日某サークルの先輩(20)がJRの全線に完乗され、京都で祝賀会を開くことになっていた。私も出ようと思ったが、京都に戻ってふと見ると携帯がない。すぐ京都市バスの車内で見つかったと分かりホッとしたが、おかげで祝賀会に遅れてしまった。しかしなんとか酒と料理にありつき、皆さんに土産の「富山チューリップパイ」を渡すことができた。めでたしめでたし。
名古屋-東京-栃木-会津-新潟-高岡(2004年正月旅行vol2)
2004年1月5日

 指定席から自由席に扱いが変わる熱海でまだましな席に移ったが、結局ろくに眠れぬまま4時42分に東京着。ここから京浜東北線・東北本線を乗り継いでまずは宇都宮に向かったが、寝不足のため東北線車内で一時ダウンし蓮田から野木まで意識を失った。

 ところで宇都宮に行ったのには訳がある。皆さん御承知の通り何も餃子を食べたいからではない。今や首都圏では数少ない非電化路線となってしまった鳥、ではない烏山線に乗るためである。宝積寺で都会的なE231系からローカル的なキハ40に乗り継ぎ烏山線の旅が始まったが、沿線の田畑には一面の霜が下りていた。1月の下野は京よりも寒いのだなあ。さて、宝積寺に戻り北上を再開した私は途中片岡という駅に降りた。ここで下車した理由は私の好きな球団を知っている方には言うまでもないでしょう。栃木で他におめでたい名前の駅といえば烏山線の宝積寺と大金があったが、今回両駅とも下車できた。今年はいい年になりますように。

 福島県最大の都市・郡山まで行ったところで東北本線に別れを告げ、京都のある南西の方向に進路を変える。厚化粧?の455系会津若松行きからは雪に覆われた田畑や磐梯山の美しい姿が見えた。先月に宮城・山形に行った時と比べ寒さが一段と厳しくなっているのだ。会津若松で太麺の会津ラーメンの昼食をとったあと、飯盛山まで歩こうとしたが遠すぎて断念。まあいいや、いずれ只見線に乗る時にじっくり観光しよう。

 会津若松を離れて新潟を目指すことにするが、磐越西線の喜多方以西は本数が少なすぎる。もし郡山-新潟間に快速あがのを走らせたところで需要はないのだろうか。沿線が阿賀野川沿いの過疎地だから仕方がないな。それにしても新潟県に入ったとはいえ平地に雪がないではないか、地球温暖化恐るべし。みなさん電気の無駄遣いはやめましょう。まあ直江津くんだりまで出たらドカ雪が私を待っていることでしょうと思い新潟まで半分寝て過ごす。

 新潟では6分の乗り換え時間の間に駅弁を物色するが、売り場が少なくやっと見つけた売り場にも先客がいた。結局何も買わずに越後線の電車に乗車。政令指定都市を目指す新潟の通勤電車とあって4両編成の車内は非常に混雑しており、なかなか座席にありつくことができなかった。途中の吉田では乗り換え時間の間にパンを確保。これで直江津まで飲まず食わずという最悪の事態が避けられてなによりである。

 で、直江津では私の期待通り21時前だというのにまだ駅弁が売られているではないか。特急「はくたか」がまだ余裕で走っている時間帯である上、大阪行きのシュプール号が長時間停車するためである。私もかに寿司を購入し、今日中に高岡に着くため糸魚川まで利用した特急「はくたか」の車内で平らげた。正味20分の乗車だったが初めてのサンダーバード車両は快適だった。

 糸魚川からは鈍行の旅に戻り、食パン型電車と急行型電車を乗り継いで今夜の宿泊地・高岡に向かう。北陸本線の急行型電車といえば母方の祖母の実家が加賀(山代?)温泉だったので母親は子供の頃急行ゆのくにで加賀温泉か大聖寺か動橋(いずれも石川県加賀市にある北陸本線の駅)まで行った記憶があるらしい。ひょっとしたら母親が親戚の家に行く時に乗った急行と同じ車両に今自分が乗っているのでは…と考えたりした。
*帰宅後に作成、2005年6月1日転載
伊勢路の旅(2004年正月旅行vol1)
2004年1月4日 
 朝6時45分ごろに下宿を出て、東海道・草津・関西・紀勢・参宮線経由で伊勢市へと向かう。昔昔、この区間にはSL快速が走っていたそうな。しかし今はこの区間を走っている定期優等列車は影も形もない。やはり関西本線の線形が悪いからだろうか?日本のトホホ観光路線は「西の関西本線非電化区間、東の日光線」で決まりだろう。

 だが、津で一旦下車した私の前に「おみゃーな、紀勢・参宮線をなめたらいかんがや」と言わんばかりに4両編成の列車が降臨した。その列車は名古屋-鳥羽間で近鉄特急と張り合うキハ75快速「みえ」である。キハ75は途中通過駅での減速や信号待ちがあったものの、時速100キロ以上のスピードで新春の伊勢路を突っ走った。
 
 伊勢市で降りた私は大半の日本人にとっての聖地、伊勢神宮に参拝することに。今まで家族旅行で伊勢に行き、海水浴や水族館、スペイン村に行ったことはあったが、伊勢神宮参拝は今回が初めてである。ジーパン姿での参宮は不敬罪?とも思ったが、靴紐を結び直し、携帯の電源を切って厳かな気持ちで神前に臨む。外宮、内宮の順に参拝した後は大急ぎで伊勢市駅に戻り、伊勢うどんをかきこんで「みえ」で今度は鳥羽を目指す。鳥羽行きは小学校の修学旅行以来約9年ぶりだ。あの頃は地震で阪急や阪神が一部不通で、音楽に目を移すと浜ちゃんと小室のグループが大ブレイクしていたなあ。

 昔の懐かしい思い出に浸りながら今度は松阪へ。本居宣長旧邸跡を見学してから向かった先はJR東海随一のローカル線・名松線に乗車する。小学校の時「なまつ線って何?」と思っていたマイナーな路線についに乗る日が来たのだ。ただ、新幹線の儲けで維持されているようなローカル線とあり客は少なく、ここは活性化のため例えば沿線にあるリゾートホテルの客用に豪華な特急を運転するなどの秘策を取っていただきたいものだと妄想してしまった。

 終点の伊勢奥津では46分の待ち時間があり運ちゃんと会話する機会に恵まれた。どうも旧式の信号がなくなるということで、最近鉄道ファンの来訪が増えているらしい。駅には記帳用のノートが設置されており、私も記帳したが友人の書き込みを見つけたときは思わず笑いそうになった。

 それから松阪経由で亀山に出た。腹が減ってきたので駅前の店を物色することにする。すると弁当屋に「幻の駅弁」の貼り紙が…。店の人に聞くと客の注文を受けて作ってくれるらしいので迷わず注文する。出てきた駅弁はハマグリのしぐれ煮がのった御飯。「お茶をかけて茶漬けにして下さい」と店の人が言うので駅で熱い茶を購入。実はこの駅弁、日本唯一の茶漬け駅弁という存在自体がすでに珍しいうえ、駅前の弁当屋でしか買うことができないため幻の駅弁と呼ばれているそうである。

 関西本線で名古屋に向かう車中では同業者の方と話しこみ、名古屋からは中央線で新守山の温泉に向かう。湯加減はなかなかだったが刺青を彫った怖そうな人が何人も来ていたので少し怖かった。幸い何のトラブルにも遭うことなく私は温泉から出ることができたが、街中の浴場よりはやっぱりこの間の下諏訪みたいな鄙びた温泉がいいなあと思わずにはいられなかった。

 その後はJRや名鉄を乗り回し、名古屋から13分遅れのムーンライトながらに乗車する。それにしても、デッキの隙間風が冷たすぎて眠れません。(涙)
*帰宅後に作成、2005年6月1日転載
お年玉
 毎年1月3日には我が家に親族一同(といっても我が家族と父方の祖父母、父方の伯母と叔父の一家だけだが)が集まって会食を行うことになっている。今年も各家庭ご自慢の素晴らしい料理が多数登場した。

 会食の後は子供たち(といっても20歳以上が3人いるが)にとっては楽しいお年玉授与式。私は父方の祖父母から2万円もらった。彼らは子供のお金に対し、他家の人よりもシビアなようだ。それでも母方の親戚や両親からもらった分を含めると・・・。これで函館行きの夢が叶うし、あゆのアルバムも買えるし、お洒落もできます。神様本当にどうもありがとうございます。

 夕食後は重たい荷物を持って京都に帰る。明日からは3日間旅行である。
2004年乗り初め
 今年最初の汽車旅はJR西日本の乗り放題きっぷを使って和歌山に行き、和歌山のある盲腸線と大阪近辺の未踏破駅を制覇することにした。

 10時半頃実家を出てまずは西ノ宮、甲子園口両駅に下車。これで私はJR京都、神戸線の新大阪-舞子間全駅で乗降したことになる。甲子園口から東西線直通の普通電車に乗り、東西線と環状線の3駅を制覇した後紀州路快速で一路和歌山を目指す。この列車は日根野まで関空快速と併結で走るが、車内は混んでおり和泉府中まで座ることができなかった。和歌山で昼食タイム。ここは和歌山ラーメンかめはり寿司を楽しみたいところだが、金をケチるためきつねうどんで我慢した。まあ気長に次の機会を待ちましょう。

 さて、冒頭に挙げた盲腸線とは和歌山-和歌山市間3.4Kmの書類上紀勢本線の一部となっている区間である。ノリホの区間外になるのでわざわざ追加料金を払い乗車。しかし県都和歌山の市内電車である割には客はまばらだった。こちらが約1時間ヘッドの間延びしたダイヤなのに対し、並行するバス路線では南海電鉄系のバス会社が頻発運転を行っているからだ。JRも中間駅に交換設備を作って頻繁運転をすれば良いものを...儲からないからやらないだけなのだろうか?

 盲腸線往復後は関西空港線、大阪環状線、JR東西線の全駅に乗降し帰宅し、夕食のすき焼きで祝うことにする。とはいえ、大学が関西にあることもあり某サークルではこれぐらいの事は朝飯前とみなされている。どこかの地方私鉄の全駅を制覇してみたいものだが予算の壁が大きく立ちはだかる。だけど今年はみなさんが驚くような駅に1つでも降りたいと思っております。
2004年元旦
 皆様、あけましておめでとうございます。2004年もどうぞよろしくお願いします。皆様の御多幸を心よりお祈りします。

 さて、現代日本の一般家庭ではこの日をただの休日と同一視しており、家族揃って寝坊という所も多いようだが、我が家では伝統としきたりを重んじるのか毎年元旦は朝8時半起床である。眠い目をこすり、仏壇や神棚にお参りしおせちの朝食を取る。ちなみにメールで年賀をやり取りする友人が数人いて、あの娘なんか可愛らしいカードのついたメールを送ってきた。 昼までには年賀状の束が届き、その中には私宛の年賀状もいくつかあった。それにしても私は今まで一度も元旦に届く様早めに年賀状を出したことがない。早めに書いてくれた友人のみなさんどうもすみません。

 昼食後はテレビでサッカー天皇杯決勝のジュビロ磐田VSセレッソ大阪を観戦する。強豪として知られるジュビロ磐田はプロ化してからこの大会で決勝に進出したことが一度もなく、セレッソ大阪は2度決勝に進出したもののいずれも準優勝に終わっているので両チームのサポーターは悲願の初優勝へ夢を繋いでいた。我が家にはジュビロファンとアンチジュビロが同居しており、しばし歓声とブーイングが同時にあがる。前半は両チームとも決定機を物にできず0ー0に終わったが、後半途中にチームの顔である中山雅史の投入によって勢いづいた磐田が一点を挙げてC大阪を突き放した。この得点を決めた選手が警告累積で退場になる等試合展開には最後までヒヤヒヤさせられたが、結局1点を守り切った磐田が2003年シーズンの有終の美を飾った。
 
 有終の美と言えば磐田の柳下監督もこの大会を限りに退団することになっており、最後にタイトルの置き土産を残すことが出来て感涙していた。セレッソファンには悪いが本当に今年もこのような良い年になって欲しいものである。
 
 
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