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この一年
 自分にとってこの一年は変化と模索の一年だったと思う。まず、一年間の浪人生活の末志望大学に合格し2つのサークルに入った。ところが予備校で苦楽を共にした友人の多くがこの大学に入れず、代わりに自分をいじめた同級生やばかにした後輩が何人も同じ大学に入ってしまった。彼等に負けたくないという一心からコンパで活発にふるまったり女の子に積極的に声をかけたりし続けた。グラサン姿で登校したのもその一環である。

 しかしこんな風に本当の自分を飾っているとどこかにしわ寄せが来るもので、某サークルで先輩や同級生から良く思われない行動に走り迷惑をかけることが何度も起こってしまった。結局コンパで泥酔したり夏休みのブランクがあったりしたため、クラスでの積極策は破たん。私は仮面を脱いだ。
  
 かわって某サークルでは場をわきまえるよう努力を続けることにし、特に夏の九州旅行で「自分にとって一番大事な鉄道(汽車旅)好きという趣味をないがしろにしてはいけない」と実感したあたりから某サークルに十分溶け込めるようになりサークルライフが楽しくなった。2つのサークルでは素晴らしい友人、先輩に恵まれて本当に嬉しい。

 一方、サークルとは裏腹にクラスでは何人かの人と疎遠になり、自分だけが孤立しているように感じ暗く淋しい日々が始まった。予備校時代に仲良くしていた女性との大喧嘩も私の心を痛めた。他にもそんな人はいるだろうが、この心細さゆえにサークルに自分の居場所を求め、気分転換に仙台まで行ってしまう程だった。

 人間関係以外ではバイト就職と解雇で大きく動揺したこともあったが、予備校の元彼女との復縁で少しづつ元気が戻った状態で新年を迎えることになったので少しホッとしている。

 他に今年良かったことは阪神優勝とあゆのレコードセールスNO.1獲得かなあ。と、まあいろいろあった2003年でしたが全体的に見ていい年になりましたわ。

 ただ去年の大晦日は慎ましいながらも乏しい食料を囲んで一家団欒を楽しんでいたバグダッド市民が、紅白を観ながら談笑していた水俣市山間部の住民が1年後の今は...と思うと今の自分に感謝し、世界の平和と全人の幸福を願わずにはいられない。2003年は色々と考えさせられる1年でもあったのである。
*2005年6月1日転載 これにて2003年の日記転載完了
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下宿に残れば良かったかも
 朝起きたら11時を回っていた。どうやら休み中我が肉体は10時間寝ないと気が済まないらしい。で、起きたら起きたで神棚の掃除、トイレ掃除、ろうそくの買い物、テレビ裏の掃除、を命じられる。自分の動作の鈍さについつい腹が立つ。これはバイトが続かなかった理由でもあり、いじめられた原因でもあるのだ。ああまた自己批判のクセが始まった。で、お使いに行ったらお使いに行ったでお目当てのサイズのろうそくが見つからない。某量販店、何やっとんじゃ!まあ、お使いのついでにJR西日本の初詣きっぷが入手できたし、何とか使えるろうそくも買えたので時間のロス以外に実害はなかったのだが。

 ところで、この1年で私はインターネット依存症にかかってしまった。そのせいで実家でもパソコンにかじり付き、年賀状書きや読書の時間が作れなくなってしまうので困る。おまけに今日は国営放送で映像の世紀を放送しており、ついつい夜更かししてしまう。
スマスマスペシャル
昼頃まで寝て、だらだら本を読んだり年賀状を書く。何ごともテキパキできない限りどんな仕事もできないとついついマイナス思考になる私だが今は冬休み、そういう考えはできるだけスルーしたい。

 ところでこの日のスマスマスペシャルには星野仙一、桧山進次郎、矢野輝弘、新庄剛志、石川梨華、安倍なつみ、矢口真里、高橋愛の7人が出演することになっていた。星野氏はビストロのゲストとして、桧山氏、矢野氏は関口宏番組をもじったコントのゲストとして、新庄氏は中居正広のコントのゲストとして、女性4人はモー娘。として出演することになっていた。星野氏は巨人ファンの中居正広とのトークで球界改革についての熱い提言を行い、「男仙一」ぶりを発揮しておられた。あの方の言う通り、巨人は現場に阪神と遜色ないスポーツマンシップがあったとしてもフロントがあれではねえ~。星野氏はまた、「俺はあんこが好きだ」と言っているのにみたらし団子を出した香取慎吾をいじっていたが、お好み焼きがうまかったからと言う理由で彼とキムタク?のペアを優勝させた。よっ、日本一!

 桧山、矢野の両氏はコントで草なぎ剛(あの漢字は出ない)と共に粉まみれになりながら奮闘し、新庄氏も中居正広演じるダメ人間とバドミントン勝負を楽しんでいた。
 
 ベッカムのコントや山田花子、中之島ゆきの正体?がゲストのコーナーを挟んでいよいよモー娘。の出番。私のお気に入りの安倍なつみとキムタクとの2ショットはなかなか見られないだけにしっかり目に焼きつけた。(野球に例えりゃ井川or下柳VS城島or松中?)彼女も来年1月でモー娘。を卒業するだけにこれは貴重なシーンになった。もちろん安倍以外のお気に入りメンバーである石川や矢口、高橋とSMAPメンバーの2ショットが見られたことも嬉しかった。しかし番組に集中するあまり年賀状の文章がまとまらない。ああ困ったなあ。
惨敗と断髪
 誰でも変な夢を一度や二度見るものだが、今朝夢の中で私は外務省(防衛庁?)職員として自衛隊派遣準備のためアフリカ奥地をさまよい、ある町にたどり着いた。白人が奴隷貿易のため築いた歴史ある町のようだ。

 待てよ、随分長い夢だなあと思い起きたら10時20分過ぎ。9時20分に目覚ましかけたのにどうなってるんだと思い、あわてて電話をかけ続けるが一向につながらない。そういうわけであゆのチケット獲得はならなかった。後藤真希の時みたいにうまくは行かないのだなあ。というかそれ以前に虎の日本シリーズで運を使い果たしたことも大きいと思う。

 夕方には地元の美容院で3ヶ月伸ばした髪を断髪する。なかなかスッキリした髪型になったようだ。みなさんには1月6日にお披露目します。その後は年賀状に着手し睡眠。明日は西日本の乗り放題きっぷを買おうか?
やっと実家に帰れた
 10時前に一度起床し、浜崎あゆみ名古屋公演のチケットを取るべく電話する。しかし何度かけても繋がらず45分を過ぎた辺りで挫折し二度寝する。まあいいや、名古屋はダメでも明日には本命の大阪会場分が発売されるし。

 さて、再び起きたらなんと14時過ぎ。早く実家に帰る準備をしないと...思うがなかなか捗らない。結局下宿を出たのは19時頃だった。21時15分前に実家に到着。帰ったら新年旅行の計画立案、読書、年賀状、実家の手伝い、試験勉強、レポート下準備。なんて忙しいんだよ!あ、あと髪も切らないと。えっ、染めたいのか?お前そんな金どこにあるんだ。
Mステスペシャル
 昨日のショックは時間が経つにつれて薄れているように見えたが、昼前に起きて目が覚めてくると掃除が忙しかったからか再び気持ちが後ろ向きになってきた。そのせいで昼間入った店では考え事をしてしまい、知らぬ間にレジの列に割り込んでしまい、他の客にに因縁をつけられそうになった。もうこれは重症だ。

 しかし今日は19時からミュージックステーションのスペシャルがある。あやややGLAY、福山雅治が出演しないのは残念だが、それでも浜崎あゆみ、愛内里菜、後藤真希、モ-娘。、ミスチルといった贔屓のアーティストが多数出演すると言うので私はこの番組の放映を心待ちにしていた。
 
 ふと気付けばこの番組も18年続く長寿番組。友人の中にも「Mステ見るよ」と言っていた人が複数いた(例の女友達も)。ジャニーズ系ではNEWSや嵐、V6には興味はなかったが、新幹線のCMソングを歌ったTOKIOと今年のナンバーワンヒットになった「世界に1つだけの花」を歌ったSMAPの出番では画面を注視した。
 
 モ-娘。はモ-娘。で変な被りものを被って歌っており、私のお気に入りの石川、安倍、矢口、高橋が可哀想に思えた。安倍と矢口なんか私より学年が上なのに。...SPEEDの再結成は懐かしくてGOOD。83年生まれの私の心を打つ粋な企画だった。言うまでもなく浜崎あゆみの「no way to say」(最後から2番目)や後藤真希の「抱いてよ!PLEASE GO ON」にはしびれさせてもらった。
 
 番組の途中で落ち込んでいた私の身を案じた神虎さんから電話。ついつい長電話になってしまったが大きな励ましを受け、就寝することにする。窓の外は1週間振りの雪である。
重大ニュースの50年
 そういうわけで今日も下宿を片付ける。しかし相変わらず作業は捗らない。思えば生まれて20年、今まで毎年クリスマスイブを家族と楽しく過ごしていた私。しかし今年は下宿の片づけが済まないことには実家に帰れない。クラスの女子との関係が思うようにいかず、他につてはあってもみな忙しいのだ。クリスマスって何?美味しいの?って感じだ。

 夜には楽しみにしていたスペシャル番組が放映された。みのもんた司会の「テレビ50年重大ニューストップ100」である。戦後史フリークの私にとっては興味津々の内容だった。「1971年7月30日放映予定の帰ってきたウルトラマンは全日空雫石事故の特番に潰された。」、「1963年11月、黒柳徹子のレギュラー番組が鶴見事故(同日の三井三池炭鉱事故も?)とケネディ暗殺に潰された。」、「鶴見事故の発生時刻はTBSの海外ドラマから特定された。」など興味深い新事実を放送してくれたTBSに感謝である。麻原や林真須美のネタは不謹慎だが懐かしかったし、阪神大震災のところで亡くなった阪神ファンの男性とその遺児のことを取り上げた点もなかなかだった。TBSさん、またいつかこんな特番を放送してください。
 
復縁
 朝3時に帰宅し、昼まで熟睡。ページの更新を済ませてから久しく掃除してなかった部屋の片付けを始める。これが済まないと実家に帰れないのだ。しかし片付けは捗らないまま1日が過ぎてしまう。特に風呂の排水口の掃除が重労働だった。
 
 そんな中非常にうれしいことが起こった。音信不通だった元彼女と久しぶりに連絡が取れたのである。喧嘩のことをお互いに謝り、気持ちよく関係を再開できたが相手はもうすぐセンター試験である。あまりしつこくメールを打たないでそっとしておこう。果報は寝て待てというではないか。
兼部先忘年会
 今日は冬休み前最後の授業。そういうことでやる気が入らない。福山雅治は「ESCAPE」(アルバム「f」収録)で「やることをやって頑張ってから旅に出ましょう」ってなことを歌っているが、悲しいかな私はこの歌詞の内容を守れていない。結局経験社会学の試験の出来も芳しくなかった。もう派手な連中なんてどうでもいいのだが。

 しかし今日はこんな退屈な一日のまま終わらない。19時から兼部先の忘年会が三条の焼肉屋で開かれるのだ。私たちは談笑しながら酒と焼肉を楽しんだが、肉の量は先月行った店と比べて少ないようだった。おかげで酔いも早く回り、カクテル&チューハイ大ジョッキ3杯で泥酔一歩手前まで行ってしまった。やっぱり私は酒に強くない。7月の悲劇が教訓にならないようでは困ります。

 焼肉の後はカラオケ2店をはしごする。メンバーの中に佐賀県出身者がいたのではなわの「佐賀県」を全員で合唱したり、変な歌で盛り上がったりした。しかしそんな中でも私はGLAYやミスチルで決めるときは決めたし、愛内里菜で90点をたたき出した。やはり旅行とカラオケがないと私はやっていけない。
*2005年6月1日転載
試験あるのに・・・
 明日は曰くつきの経験社会学の試験だ。しかし勉強が進まない。BVEで京浜急行下り快特品川-京急久里浜間を1回、名鉄美濃町線を2回やってしまう。ああ、こんなことしている自分を1年前の自分に見られたら、怒突きまわされているところだな。

 午後には高校駅伝(男子)が下宿近くの幹線道路を通過した。テレビ画面に映る学生街を見て熱狂したことは言うまでもない。なお、駅伝の結果は仙台育英が2時間2分台の新記録を立てて優勝した。ちなみに仙台育英は仙石線の沿線にある。

 駅伝が終わる頃に突然西京区に住む母方の伯母が来訪した。散らかっている部屋に伯母を案内するのは気が引けたが、仙台土産のお礼の他アップルパイと小遣いをもらって万々歳ってわけである。あと、伯母が言うにはこの日の駅伝女子の部で母方の伯父は大学時代の友人が教師を務めている福岡県代表を応援し、その素晴らしい成績に喜んでいたそうである。

 その後はだらだらとネットサーフやテスト勉強を行うことにする。合コンで知り合ったお姉さんは試験のことで励ましてくれたのに・・・だらけてしまう自分がいやになる。
今日は余裕を持ってバイト先に到着し、バイトを紹介してくださった先輩の指導を受けることになっていた。しかし朝から失敗の繰り返し。

午前中は立ちくらみが起こったり、品出しする商品を間違えたり・・。さらに悪いことにこの日は月3回の特売日(消費税免除)とあって店内はお客で一杯。おかげでいくら急いでも店内の移動や店員さんからの支持待ちに余計に時間がかかってしまう。作業が早く進まないことや不器用な自分に対する苛立ちが起こってくる。店員との間でもトラブルが起こり…

帰宅後はテスト勉強だが身が入らない・・・。
某サークル忘年会
 今日で冬休み前の語学は終了である。そのため受講者たちの多くは騒がしい様子であった。かくいう私も友人とぺちゃくちゃ喋ったりこそしなかったが、今夜某サークルの例会後に忘年会を控えていた。

 18時30分からの例会席上では、春の旅行会の行き先や来年度の役職が決まることになっていた。旅行会の行き先について、私は山陰地方の温泉を提案した。(九州新幹線乗車&九州完乗とセットにできるから)しかし皆さんの支持を思うように集められず落選。旅行会の行き先は飛騨に決定した。俺って最近関西以東しか行ってないやん。しかもじゃんけんで負けパターンにはまってしまった私は夏に続き幹事を引き受けることになってしまった。まあ、夏の幹事としていろいろ不手際があった責任を続投という形でとると考えたらよろしいだろう。

 で、来年度の役職についてだが、私は会報編集係を前任者の先輩から引き継ぐことになった。理由はその先輩と学部が同じだからだとか・・・素晴らしい「GMK会報」を世に出すよう頑張ろうと思います。ちなみに最高役職を引き継いだ別の先輩は就任演説で弾けていらっしゃった。

 例会後は近くの居酒屋で宴会。しかし明日は仕事だし、持病の歯痛にも襲われたので酒はあまり呑まず1次会だけで帰宅することにする。

 居酒屋の外に出ると雪が降り出していた。京都ではまだ紅葉も残っているのに雪とは・・・
BVE導入
 この日もいつものように退屈な授業に出席する。それにしても学部の女の子の中に地味なファッションの者が複数いるが、彼女たちはなぜ髪を染めないんだ、まゆを書かないんだ、お姉系にならないんだ・・・。まあ人の好き好きだが、私は芸能人では仲間由紀恵のような清楚系よりも浜崎あゆみのようなケバい系、JJやviviのモデルのようなお姉系の方が好きである。ただし、あくまで言っておくが実際の女性はちゃんと中身で選んでいるつもりである。

 帰宅後、下宿のPCにBVEを導入する。BVEとはリアルな電車運転シミュレーションゲームであり、某サークル内でもプレイ人口が増えているゲームである。基本ソフトと追加ソフトのダウンロードで内房線・阪神山陽直通特急・京浜急行を運転できるようになったが、直通特急の車両が首都圏の横須賀・総武線のE217系というのが何とも御愛嬌である。プレイしてみた感想は停車は意外と簡単だが、速度制限を守るのは簡単ではないなあというところである。

 BVEもいいが、某サークル会報に載せる予定の旅行記の後半の推敲は難しい。明日締め切りの12月号への掲載は不可能である。休載してどうもすみません。
 
1限休講で・・・
 幸せなことこの上ない一日になるはずだったが寝すぎて2限に遅刻する。バイトが始まったので新たな生活リズムを構築したいのだが、原稿打ちに苦しんでいる以上は仕方がない。
 それはそうと今日、正月旅行用の18きっぷ確保の目処がついた。いい先輩に恵まれて何よりである。どうもありがとうございます。
 今日最後の授業は4限の健康科学概論だが、教官がこんなことを言った。「この大学には自閉症の人が多い」とのこと。何故か?「自閉症の人は興味の幅が狭く、裏を返せば1つのことに打ち込みやすく研究者に向いている。」

 そうだ。興味が狭いというのは語弊があるかもしれないが、不器用で人付き合いも下手な自閉症者にとっては自信を与えてくれる言葉であろう。実は私も小さい頃、医者から自閉傾向と診断されたそうだ。事実幼児期よりましになったとは言え、その気が今も若干残っているかもしれない。しかしそれでも小学校の友人は私を健常者として受け入れてくれたし、高校時代の数少ない友人も某サークルの方々も皆同じである。そして彼らから与えられ、自らも築いた自信を踏みにじったのが高校時代の馬鹿どもとクラスにたまにいる人の気持ちが分からない連中である。

 結論:味方の存在に感謝し、彼らとのかけがえのない関係を今後も大事にしよう。馬鹿・・・そんなのはスルーで!
火曜の授業終了!
 ベッドから出られず1限に遅刻する。ちなみに話によると1限は楽勝科目らしいが、朝に弱い人間にとってはいくら楽勝科目でも1限にあるだけできつい科目と何ら変わらない。

 この日は朝から雨が降っていたが、昼前には上がるだろうと私は踏んでいた。別に天気予報を見たわけではない。そう、スポーツ実習の教官が学内有数の晴れ男だからである。案の定昼前には雨が上がり、ぬかるんだグランドでサッカーが行われた。授業の始めの方はまた雨が降り出すのでは?という空模様だったが、次第に日が差してきた。教官が晴れ男だというのはどうやら真実のようである。

 4限の英語の教官は相変わらず注文が多いが、最近自分が落ち着いてきたのか、その教官がまだましな教官だと分かったためかイラつくことも減ってきた。むしろいやなのはクラス内での自分の立場である。

 授業後は正月の旅行の指定券を取り、下宿で某サークル用の原稿を打つが全然進まない・・・。

 ところで、今日はCOUNTDOWN TVの年末スペシャルが放送された。この中でクリスマスソングとしてGLAYの「Winter again」が取り上げられていたが、私も雪の仙山線車内でこの歌のことを思い出してセンチメンタルな気分になっていた。大喧嘩して音信不通になったとはいえ、2浪したあの女性のことが今でも気になるのだ。あと2003年のランキングについて言うと、あゆもGLAYもミスチルもベスト5に入ってなかったのが残念だった。まあ1位SMAP、2位福山雅治は当然の結果ということで来年に期待しましょう。(1位はなわ、2位テツ&トモとかだったらマジで切れてると思う。) 
 
時計台
 あと一週間で冬休み!学内にはそんな浮かれたムードが漂っていた。私も18きっぷで1月4日から6日まで旅行に行きたいと思っていたところである。しかし今からムーンライトながらを取るのはもう無理だろう。ちなみに昼休みには松本や東京、仙台の写真が完成していたので引き取った。旅の写真は後でしんどい時に見ると、清涼剤になることがあるので私にとって大事なものだ。

 5限の後は兼部先に顔を出し、夕食を大学のカフェでとることにした。するとステーキセットが700円!先週の米沢牛の駅弁より安くて量があるぞ!ってことで、迷わずステーキセットを注文する。出てきたステーキはレモンバターが効いていて美味しく、ソテーの人参もわりといけた。

 食後はその場のノリで大学のシンボルである時計台を見学する。この時計台は近年まで校舎として使われていたが、耐震化工事と合わせてホールと記念館への改装が行われたのである。なお、戦前から数々のドラマを生んできたこの教室の移転には当初反対の声もあった。私は改装前(高校時代)にもこの中に入ったことがあるが、建物内部は当時と比べて非常に明るくなっていた。それでも建物自体の厳かな雰囲気は損なわれていないようで安心した。ただ、この中にあるレストランははっきり言って高すぎる。明らかに教職員専用の高級レストランである。

 明日は1限がある。早く寝ないと。
*2005年5月31日転載 
2つの歴史的瞬間(その2)
 しかしこの試合でもし市船が勝っていても、それはスポーツ紙の一面にならなかっただろう。この日の夜、下宿に帰る直前実家でトヨタカップを見ていると突然ニュース速報のテロップが。またイラクでテロ?と思ったが、ある意味テロよりも重大な事件だった。
 
 「フセイン元大統領を拘束」どうせ誤報ちゃうん?そう思いつつ下宿到着後ニュースを見ることにする。画面の中には祝砲を上げ、旗を振るバグダッド市民の姿が映っていた。捕獲?されたフセインはヒゲがすごく、良く言えばサンタクロース。悪く言えば浮浪者みたいに見えた。それでも顔は奴そのものだったし、DNA鑑定の結果本人であることが証明されたようである。
 
 これでテロが治まってくれれば自衛隊派遣への障害も減るのだろうが、フセイン拘束の報復としてのテロがなくなりそうにないので今後も注意が必要である。ていうかそれ以前にビンラディンなどのテロリストが捕まらないと、アメリカの同盟国・日本の国民である私たちの不安は消えない。まあひとまず邪悪な独裁者が捕まって何よりだ。次はあの国の将軍を何とか…

2つの歴史的瞬間(その1)
 実家で中国語の復習をやろうとしたはいいが、モーニング娘。の番組やサッカー天皇杯に気を取られ思うように作業が捗らない。
 
 サッカーの天皇杯とは毎年11月末~翌年元旦にかけJリーグチームと各都道府県代表のアマチュアチーム(高校・大学含む)がトーナメント形式で戦う大会である。そのためアマチュアチームがJリーグチームを破る番狂わせやJリーグの王者VS高校サッカーの強豪の夢の対決が実現したりするので、毎年サッカーファンにとっては注目の大会になっている。
 
 今日は3回戦の横浜Fマリノス(J1王者)VS市立船橋高校がテレビで中継されたので観戦することにしたが、前半を終えた時点で横浜が2-0でリード。これは無難にJ1王者に軍配が上がるのではと思ったが、この後に一波乱が起きた。
 
 横浜のキーパー下川の凡ミスもあり、市立船橋が2点を返したのである。その直後、市立船橋のエースがシミュレーションを取られて退場になったが、これは高校ではなくJリーグのチームを勝ち抜かせて少しでも収益を上げようとする運営委員会の謀略だと私は思った。
 
 高校生たちの粘りもあり、結局延長戦では決着は着かずPK戦へ。私は「これで市船が勝ったらネタになるぞ!頑張れ市船!」と思っていたが、その思いに反して横浜のキーパー下川は元日本代表の意地を見せて若者たちのPKを次々に止めた。結局J1王者VS強豪高校の対決はJ1王者の勝利で終わったが、こんな面白い試合が見られたのは久々だ。
京都-大阪-京都-実家
 朝目が覚めるとバイトに余裕で間に合う電車が発車する7分前。どうやら目覚まし時計のスイッチを入れ忘れていたようだ。今度からは携帯のアラームを3重にかけよう。幸い遅れは最小限に留まり、無事バイト先に到着し店員の方の御指導のもとひたすら品出しに励む。午前中の仕事では特にトラブルは起きなかった。しかし今日唯一の問題?は午後に起きた。

 栄養ドリンクの品出しにもたつき、ある店員から嫌味みたいなことを言われたのである。私は指示通りスピードを上げた。しかし時間のロスは回復できず、予定の作業1つをやり残してシフトを終えることになった。次は最初からテキパキやりたいが、作業を急ぐあまり瓶を割るようなことは絶対にゴメンだ。

 勤務終了後はすぐに実家に帰りたかったが、京阪某駅前の路上に止めた自転車が心配だった上、下京区の祖父母に仙台土産の菓子を渡したかったので一旦京都に戻る。この途中に見かけた堺筋線の電車は今年10月に新造されたばかりの新車だった。

 京都で慌ただしく用事を済ませ、阪急で実家に帰る。ちなみに祖父母からはお菓子と引き換えに信州りんごを貰った。旅行の余韻が味わえるので非常にタイミングの良いプレゼントである。
明日は勤務
 2限に遅れた以外は特に変わったことのない一日だった。2限はレポート科目なんだし何とかなるだろう。授業後は2つのサークルに顔を出し談笑。明日は朝から大阪でバイトなので早めに寝ることにする。
虚栄心
 昨夜はおとといとは打って変わって遅く寝たのに、2限に間に合った。世の中は実に不条理なものである。眠い中4限まで出て、BOXとラーメン屋に寄って帰ることにする。途中でパソコンを使わせて欲しいと言っていた兼部先の先輩と合流し、下宿で深夜まで駄弁って過ごす。

 さて、今日は虚栄心について話そうと思う。私は前期のクラスである種の妙なプライドを持っていた。つまり、当時の自分はいじめられていた高校時代とは違い、予備校時代から付き合っていた人を含む複数の女友達や多数の同性の友人に囲まれ「自分は社交的な人気者になれた」という意識を持っていたわけである。それが何度も言っているように、後期になると夏休みによるブランクがあったり、前期に人間関係構築を焦るあまり暴走じみた行為に走ったりしたつけが出てクラスの人間の一部と非常に疎遠になってしまったのである。そうなって初めて、前期に持っていた一見自信にも見えた妙なプライドは単なる虚栄心に過ぎなかったのだということを悟った。同時に虚栄心のためにクラス内の目立たない人間を派手な人間と比べ低く見てしまったことを真摯に反省した。

 この虚栄心の存在に気付いたことは1つの進歩だと思う。クラスのチャラチャラした連中や高校時代私をいじめた人間も早くこの存在に気付いた方が自分のためにもいいだろうと思う。どうせ1年で別れる女の子を追い回したって、自分より弱い奴をいじめたって虚しいだけじゃないか。サークルや専攻が違う女性と結婚することなんかなかなかないだろうし、今は強者の立場でも自分より強い人間がいる共同体に入れば次は自分がいじめられる番だ。

 彼らはこう反論するだろう「俺はお前みたいに無理をして虚しさを感じているわけではない。自分が得意だから女を追っかけまわして楽しんでるんだ、自分が得意だから弱いものをいじめて楽しんでるんだ。」しかし彼らの中にはかっこつけのためにむりやりこのような愚行に走っているものもいると思う。彼らは早く目を覚ますべきだろう。まあ、彼らがどんな社会人になったって私には関係のない話だろうが。
早寝は無駄!
 前夜日付が変わる前に寝たのに、今日も田OO子似の教官の語学に遅刻する。この授業に出るには徹夜しか方法がないのだろう。4~5日前の夜行列車が懐かしい。1人で耐久ビデオ上映会or音楽鑑賞会をやろうか。某集団みたいなたいきうろうどくかいはしたくないですが・・・

 他の授業には予定通り出席したが、3限でいつも眠くなるのはなんでだろう~。某友人もそうだというが・・・。

 帰宅後は下宿の片付けや原稿打ち、音楽鑑賞やネットサーフを楽しむ。7時ごろからはタイカレーを食べながらサッカー東アジア選手権の日本VS韓国を観戦する。しかし試合の方は序盤で日本の若きスター大久保がシミュレーションを取られ退場となり、以降は日本が人的不利に負けずよく守っているものの両チーム点が全く入らない退屈な展開になってしまった。そのせいで私は興ざめしてしまい、試合の方も引き分けに終わり日本は得失点差で韓国に優勝を譲った。今となっては来年こそ雪辱を晴らせと言うしかない。サッカーの後はそのままダラダラトリビアを見てしまう。清(ネロ)と斑(パトラッシュ)の話は笑った。

 ところで、ニュースによると近鉄のローズが巨人に行くらしい・・・ますますアンチ巨人の情が増してくるなあ。
またいつもの日々が
 今日の日記に入る前に、皆様にお詫びしたいことがあります。日記を始めて50日以上になりますが、それにつれて慣れが生じたのかついつい個人情報のウエイトが大きくなり、皆様にとって好ましくないことがあったかもしれません。東北に行く前に先輩方から注意されたりもしたので、今後の日記には個人情報とされるものをあまり書かないようにしようと思います。

 それはそうと、昨日も遅くまで起きていたせいで1限に遅刻する。来週は時間通りに出たいものだ。英語の宿題ができてなかったうえ、部屋の片付けをしたかったのでのでスポーツ実習は初の自主休講である。その分自主トレをしましょう~

 4限の英語はあまり好きな授業ではないが、この日教官は普段よりも生徒の自主性を重んじた授業をした。授業内容は今までの授業で打ち込んだ英文を新聞・雑誌風にまとめるというもので、私は画像を添付しようと思ったがフロッピーに収まらず断念した。せっかく虎の戦士たちの写真を宿題に使いたかったのに・・・。

 授業後は某サークルのBOXで先輩と駄弁り、一旦下宿に帰ってから近くの中華料理屋で食事。明日も1限があるし、旅行の疲れが取れていないので日付が変わる前に就寝することにする。
帰宅(2003年冬東北信越旅行vol4)
2003年12月8日
 横浜から乗ったムーンライトながらの車内で、私は夜食のどら焼きを食べると熟睡してしまった。途中静岡・浜松での長時間停車時に冷たい外気に起こされたりもしたが、愛知県内での記憶は全くなく、結局大垣で作業服姿のおっさんに「お客さん終点ですよ」と起こされる羽目になってしまった。幸い接続の網干行きには間に合い、新快速・地下鉄・市バスと乗継いで下宿に帰還。本日提出のレポートを印刷して昼から授業に出る。

 授業の後は兼部先の例会と会食を楽しんだ。この席上で旅行先出身の知人と旅行のネタで盛り上がったことは言うまでもない。帰宅後は日記の更新とネットサーフ・・・一気に現実に引き戻される。
*2005年5月31日転載
雪の2日目(2003年冬東北信越旅行vol3)
2003年12月7日
 この日は仙石線で松島海岸に向かう予定だったが、疲れのため寝坊し松島観光とくりはら田園鉄道乗車をカットすることにした。まあ車内から松島が少し見えたのだけ十分だし、くりでん行きをやめたことで旅費も浮くのだが。

 乗車した普通電車は205系の「マンガッタンライナー」沿線出身の故石ノ森章太郎氏にちなんだ特別塗色車両である。電車は仙台市内の地下線を抜け、松島近くの海岸線に沿って走った後矢本町に入ったがここは7月の地震の被災地。屋根にビニールシートがかけられた家や復旧工事中の道路が見られた。終点の石巻で石巻線に乗り換え中村雅俊の町・女川に到着。ここで海を見ながらカップヌードルで朝食を済ませる。

 女川からは小牛田で乗り換え仙台へ戻る。牛タンを食べようと思ったがどこも混んでいる。ここは食事を後回しにしてかねてからの宿願を叶えよう。かねてからの宿願とは、妹が私の浪人時の合格お守りを買った青葉城跡の神社にお礼参りするというごく自然なことである。レトロ調バスに揺られること約20分。件の宮城県護国神社に到着。ここでお世話になったお守りを奉納し、今度は自分が妹の学業成就お守りを購入する。「神様のおかげもあり、某サークルや兼部先の素晴らしい人々に会えました。どうもありがとうございました。」と参拝したあとは伊達政宗像の写真を撮り、仙台駅に戻って牛タン丼の昼食。
 
 食後は試食を食べあさりながら祖父母への土産を物色し、仙山線の快速で仙台を離れることにする。ところで、神社参拝中に降り出した雪は山間部に入るとますます激しくなり、特に山深い作並-山寺間は完璧な雪景色になっていた。山形では下調べ不足により斉藤茂吉記念館に行き損ねたものの、左沢線完乗を果たすことができた。そういえば駅ビルの漬物屋ではなまりのきつい店員にうまい漬物「おみ漬」を薦められた。次の訪問時には是非買おう。

 結局漬物は買わなかったが、左沢線から新幹線に乗り継ぐ間の待ち時間に100円の「名物 玉こんにゃく」を食べた。寒冷な山形らしく関西人の私にはちょっと濃い味付けだったが、食べると体だけでなく心まで温まってくる気がした。次は250円の「名物 いも煮」に挑戦したいものである。

 旅行もいよいよ終盤。そういうわけで東京行き新幹線に乗ってかみのやま温泉を過ぎると、線路沿いの田畑が一面雪で覆われているのが分かった。時速130キロで疾走する400系「つばさ」の車体に激しい吹雪が降り注ぐ。米沢-福島間の板谷峠もすごい雪景色だった。しかし福島盆地に降りると何事も無かったかのように雪は止んでいた。その後夕食に車販の牛肉弁当を楽しみ、大宮で下車する。ここからは京浜東北・武蔵野・京葉線経由で東京を目指すが、途中の舞浜で京葉線快速は超満員になった。ああいうところに行けるカップルがついついうらやましくなってしまう。

 東京では長い連絡通路を通り、途中のコンビニで夜食のどら焼きとビスコを買ってから横須賀線久里浜行き最終で横浜に向かう。この旅で私はE231系とE217系の硬いボックスシートが嫌いになった。関西に生まれたことに感謝しよう。

 横浜駅では全廃寸前の京急旧1000系、廃止を1ヵ月後に控えた横浜-桜木町間を走る東急8000系を見てから「ムーンライトながら」に乗り、東日本に別れを告げることにする。
*帰宅後に作成、2005年5月31日転載
周遊1日目(2003年冬東北信越旅行vol2)
2003年12月6日
 高崎からムーンライトえちごに乗車した私は思いのほかすんなり寝付くことができた。実際途中で目が開いたのは水上・越後湯沢・小千谷・長岡だけだった。ただ、人気の無い深夜の長岡駅では何故かラジオ体操?をしたい気分になった。要は身体を動かしたいだけなんだろうが。

 4時52分に新潟着。事実上たたき起こされた形の私は退屈しのぎに新潟-中条間を往復する。それにしてもE127系、貴様の寝心地は最悪じゃ!

 中条往復の後はMAXときで大宮にとんぼ返りすることにする。浜崎あゆみのアルバムを聴きながらMAXの旅を楽しもうとしていた私はひょんなことから隣りの席の老婦人と会話に花を咲かせることになった。サッカーのアルビレックス新潟のこと、大学とその教育のこと、新潟の風土のこと・・・このような出会いは汽車旅の醍醐味の一つである。朝食の「鮭の焼漬弁当」も会話のおかげでより一層美味しく感じられた。
 
 上野にレンブラント展を見に行くという老婦人と別れ、私は大宮であさま(土曜運転の全席指定便)に乗り換える。ただ、この列車では睡眠不足のつけが出て、長野まで寝て起きての繰り返しだった。それでも碓氷峠の錆び付いた架線柱や、長野手前の大手味噌メーカーの工場などの風景は鮮明に覚えている。
 
 長野では温泉用のバスタオルを調達したほか、おやきを味わうことができた。「しなの」で松本に向かう前に時間があったので篠ノ井に寄ったが、駅前にはオリンピック当時の「ようこそ、開会式会場へ」という看板が残っていた。オリンピックのころ私はまだ中2だったなあ。そういえば長野駅ビルの中にも五輪マークがでかでかと描かれていた。こういうものは一体いつまで残っていることだろう。

 松本では松本城と開智学校を見学しようとしていたが、ここでこの旅最大の事件が発生する。見ると財布が無いのだ、開智学校から城への道を血眼になり探す私。幸い、松本城のベンチに財布は手付かずのまま残っていた。ラッキ-!!ただ、おかげで大糸線に北松本-松本間の一駅しか乗れなくなってしまったが。まあこのほうが財布が盗まれるよりはるかにましだ。

 駅そばをかきこみ、中央本線旧線経由で温泉町・下諏訪に向かう。途中の塩尻で杏ハイチュウを調達する。下諏訪の町には某名物知事の看板があった。駅から少し離れたところにあった公衆浴場に入ることにするが、ここは昭和30年代風のレトロな銭湯だった。この古臭さは若い女性には受け入れにくそうだが、男の一人旅にはちょうどいい感じだ。入浴後は上諏訪への電車までまだ時間があったので、方言記念館に寄る。

 上諏訪から新宿までは私にとってゆかりのある(詳しくは大学祭の項参照)スーパーあずさの旅である。カーブを高速で通過するE351系の車内でりんごジュースとくるみ大福のおやつタイム。おやつの後は眠気が襲ってきたので、時々目を瞑ることにする。それでも自分が4歳まで住んでいた国立-西国分寺間を通過した時は胸が熱くなった。幼い私は友達と遊ぶよりも、自宅近くの陸橋から201系快速や183系「あずさ」を眺めるのを何よりの楽しみにしていたものだ。

 新宿到着後は山手線と地下鉄日比谷線・丸の内線に乗ってから今夜の宿泊地仙台を目指すため東京に向かう。土日きっぷでは4回ただで指定席に乗れるというのでここは八戸行き最終の「はやて」に乗ることにする。「三陸わっぱめし」を食べ、音楽を聴きながら過ごすことたった1時間38分、21時42分に杜の都仙台着。私は東北は生まれてはじめてである。その後JRの列車や地下鉄を乗り回し、日付が変わる直前に今夜の宿であるネカフェに投宿。
*2005年5月31日転載 
はなきんの関西脱出(2003年冬東北信越旅行vol1)
2003年12月5日
 クラスの人間関係や一部の同じ高校出身者への警戒など悩みは尽きないが、いよいよ出発の日がやって来た。
 
 予定では本日大阪(伊丹)18時10分発のJAL130便で旅立つことになっており、そのためには4限の中国語(某仏教官)を早退せねばならなかった。しかし授業終了直前に出発準備を始めた私は、「まだですよ」という教官の言葉に対し「今日は用事があるんです」と答えた。
 
 結局この一言で授業は早めに切り上げられ、余裕を持って大阪空港に到着。18時24分、私と出張帰りの企業戦士たちを乗せたB777-300「レグルス」号は大阪空港を離陸。機内でサンドイッチとコンソメスープの夕食を取ったり音楽を聴いたりで結構楽しく過ごせた。
 
 羽田到着後は空港のツアーデスクで土日きっぷを購入し、東京モノレールで浜松町に向かう。17年前に父親と乗った時と比べると東京モノレールは全く別の鉄道に姿を変えているようだった。ちなみに乗車車両の番号は1001。幸先の良いスタートである。浜松町の辺りで見えた山手線の205系は私を歓迎してくれているようだった。それもそのはず、私は1988年4月まで東京都民だったのだ。

 浜松町からは京浜東北・横浜・八高・川越線で大宮に向かったが、引退寸前の八高・川越線の103系に乗れたことは大きな収穫だった。大宮からはムーンライトえちごに乗るべくE231系の新前橋行きに乗車したがその混み具合は鴻巣辺りまで殺人的だった。4ドアロングシートのE231系を大量投入してこのざまなのだから、今後JR東日本がいかなる手を打つかが注目される。

 北鴻巣で日付が変わり、12月6日に入る。
*2003年12月7日未明仙台で執筆、2005年5月31日転載
こんなバイトってあり?
 記念すべき初バイトは朝10時から地下鉄某駅近くの薬局で行われることになっている。「開始15分前に着いておくように」と言われていたので私は余裕を持って開始30分前に会場に到着する。驚いたことにまだ誰も来られてないようで、派遣会社に電話しようかと思っているうちに鍵が開いたので中に入ることにする。

ところが、鍵を開けた担当課長は「学生か、授業あるやろ」とか「何も説明することあらへんわ」と何やら私に対して切れている様子。これはガチンコばりの修羅場が待ち受けてそうだ・・・どうしよう。と思いつつ専務の方から命じられ、私は店の前の掃除を始めた。掃除が終わるとすぐ私は雇い主の製薬会社の方から呼ばれた。何だろう・・・と思っていると「不手際で担当課長を怒らせてしまって申し訳ありませんでした。今日は帰っていただいて結構です」とのこと。しかも給料はそのまま出るらしい。こんなおいしいことがあるだろうか。予定を変更して昼から授業に出ることにする。ちなみに製薬会社さんのご厚意により昼食代が出たので、昼は唐揚げ弁当を奮発した。

 授業の後はレポートや旅行の準備に忙しく、午前2時頃まで眠れなかった。
*2005.5.31転載
仕事来たー!
 寝付いたのが午前2時半というのに、今朝はすんなり起きることが出来て1限開始にも間に合った。ただ、授業中あることが心配になって仕方がなかった。それは予定より1日早く実施されることになったバイトの面接である。4限の語学を休んで大阪市内の面接会場に向かうことにする。1~2年前、東洋史学者を目指していた真面目な少年はどこに行ったんだよ。(自分で言うな)まあ友人に代返頼んだのでなんとかなるさ。

 さて、緊張ムードで京阪特急に乗るが人身事故でダイヤが乱れているらしい。列車は大阪方面から到着後私達を乗せて1~2分で折り返した。まあいい、面接に間に合うには余裕のある時間帯の列車だし全然大丈夫だろう。と思ったが、樟葉や枚方市、京橋、北浜の手前で長めに止まった時はさすがに焦った。しかも一時「天満橋打ち切りになります」の放送さえあった。結局無事終点の淀屋橋に到着し、地下鉄に乗り換え約束の15分前に会場着。担当の女性の方から簡単な面接を受け、早速明日の仕事の話を聞く。大阪市内某所の薬屋での配送応援らしい。力仕事に不向きな自分だけどここは前のドアを開けていくしかない。そういうことで今日は実家に泊まることにする。 
単位放棄は中止
 今日の日記に入る前に一言。先日の日記で某氏のHNだと思って使わせてもらった名前は使用禁止のものでした。ここに該当箇所を訂正の上、関係者の皆様に御迷惑をお掛けしたことを慎んでお詫び申し上げます。

 結局レポートのせいで寝たのは午前2時過ぎ。起きた時には余裕で正午を回っていた。有り得ん.....とりあえず4限休講による休み時間を利用してレポートを仕上げることにする。チャラチャラした男女が仲良くしているのを見ると嫉妬を感じるが、ここはテストとレポートだけマジメにやって単位を取ろうという魂胆である。

 5限の後は兼部先の例会に顔を出し皆で食事をする。帰宅後は別のレポートに労力を費やすことになったので当分寝られない。

ところで今日のダイヤ改正でJR神戸線の西ノ宮にすべての快速電車が停車するようになった。これまで阪急西宮北口と阪神西宮に終日特急が止まっていたのに対し、JR西ノ宮は昼間普通しか停車せずどちらかと言えば冷遇されていた。そのため西宮市は阪急、阪神の牙城だったのである。ところがこの改正で年々私鉄への攻勢を強めていたJRが西ノ宮にもテコ入れを行ったのである。今後はJRに近接して走っている阪神がいかに乗客をつなぎ止めるかが注目されるところだ。
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