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東京大空襲63年
今日は東京大空襲から63年目の日。TBS系のドキュメンタリー番組を最後まで見てしまう。

実際に空襲を体験し、肉親を失った人の声を聞き、正直何も言えないぐらいの悲しみを覚えているところである。

話は変わるが、いろいろ悩むことがあり、ここの日記とmixiの日記を今後どう扱うかについて検討しようと思います。この点についてはまた近々書きます。
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赤福濱田会長辞任
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先月中旬に発覚した、伊勢名物「赤福」の偽装問題。伊勢神宮内宮前の本店はもとより、京阪神・名古屋の各デパート、駅や空港などの売店からも商品が消えてはや3週間となった。

責任者追及の声が日に日に高まるなか、30年以上もの長きにわたり赤福のトップに君臨していた濱田益嗣会長が、昨日記者会見を開き、10月末日付けで赤福の会長職ならびに兼任していた各団体の役職を辞したことを表明した。

江戸時代以来地元の老舗を切り盛りしてきた家に生まれた濱田会長は、40年近くにわたり経営者として、赤福の事業拡大に努めたことで知られる。

たとえば、かつては三重県伊勢市周辺でしか買うことのできなかった赤福餅を、大阪や名古屋、果ては関西空港でも買えるようにしたのは彼の功績である。また、伊勢観光の不振を打開すべく、社運をかけて内宮前の本店近くに「おかげ横丁」なる観光客向け商店街を建設し、一大観光スポットに育てあげた仕掛け人も彼であった。

このほか地元においては、本業にとどまらず経済界や行政分野にも強い影響力を持つ「地域のドン」的存在であったことでも知られている。

たとえばこの5月、伊勢商工会議所会頭の職にあった濱田氏は、来る2013年の式年遷宮に伴う観光客増加に備え、伊勢市内を走るJR参宮線(多気―鳥羽)を廃線にし、伊勢市駅と車両基地の跡地に観光客向けの駐車場を建設することを提案した。実際のところ、伊勢市周辺ではJRより近鉄の利用者が多いのだが、一方でJRを日常の足として利用する市民も少なくないため、この発言が各方面に波紋を呼んだのは記憶に新しいところである。

記者会見で濱田会長は、今後の赤福の再建策として「売り切れるがしょっちゅう出ることもあるぐらいの小さな赤福から再出発しなくてはならない」と、事業縮小の可能性を示唆した。これが現実のものになれば、近い将来、昔は大阪駅でも京都駅でも赤福餅を買えたんだよと子供に昔語りをする時代が来るのかもしれない。

これまでのように京阪神や名古屋で手軽に赤福を買うことができなくなるとしたら、いささか残念な話である。

しかし、ここで少し視点を変えてみるとあることに気付くはずである。
「本来伊勢の名物である赤福を京阪神や名古屋でいつでも好きな時に食べたい」という考えが、そもそも消費者のエゴとも見られ得るのではないだろうか。
もちろん売れ残りの赤福を餡と餅に分けて再利用したり、冷凍した売れ残り商品を解凍して再出荷したりという不正行為で消費者を欺いた赤福関係者の罪は重い。
だがその一方で、我々消費者も、本来伊勢の名物でしかも日持ちも長くない商品を大阪や名古屋で当たり前に買えるということがそもそもおかしな話であること(一連の報道で広く知られるようになったが、実際は大阪・名古屋にも工場がある)、大量に商品を作ればその分売れ残りも発生するが、それらがどう処理されるのかといったことに対して批判的な目を向ける必要があったように感じられる。

ここまで今回の一連の騒動に思うところを書き綴ってみたが、赤福ファンの私としては、再び安全かつ美味しい赤福餅を味わえる日がくるよう祈るばかりだ。関係者一同の猛省と奮起に期待したいものである。

【写真】赤福本店(三重県伊勢市)8月11日撮影

ミャンマー(ビルマ)の乗り物について
今日は反政府デモが続くミャンマー(ビルマ)の乗り物について語る。

数年前(俺が中高生の頃)、関西空港からヤンゴン行きという耳慣れない行き先の全日空機が飛んでいたのを覚えている人はいるだろうか。本当のところは成田から飛ばしたかったんだろうが、当時の成田空港には滑走路が一本しかなく、発着枠が満杯なのでとても無理な話だったわけである。

日本は戦後長らくODAでミャンマーに経済援助を行っており、関連企業のビジネスマンも商談や視察、赴任といった目的でこの路線を利用したとみられる。このほか、ビルマでお国のために命を捧げた日本兵の最期の地を訪れる戦友や肉親、仏教関係の観光地を巡るツアーの客も同じ飛行機で次々ミャンマーに渡った。

しかし、そもそもミャンマーに行く商用や旅行の需要自体が低かったうえに、長引く日本の不況、さらには軍事政権が圧政を敷くミャンマーとの経済交流拡大を好ましく思わないアメリカの圧力といった要因が災いし、この路線はわずか数年で廃止されてしまった(※)やむを得ない事情があったにせよ、あえなく廃止されたのは残念である。現存していたら一度は乗りたかった路線だけに…

さてさて、関西空港からヤンゴンに到着したANA便の乗客を待っていたのは、横腹に「東京空港交通」と書かれた日本車のバスであった。実はミャンマーなんかには着いてなくて羽田か成田に緊急着陸しただけなのでは?と思ったがそのような様子ではないようだ。空港には強面の兵士がいるし、何より向こうに見えるターミナルビルが日本の地方空港よりも古くみすぼらしい…

そう、ミャンマーの空港では日本製の中古バスが飛行機とターミナルビルの間の移動に使われているのだ。我が家にある10年以上前の雑誌には、「ヤンゴン空港で飛行機から降りたら、目の前で待っていた神戸市バスに乗せられてターミナルビルに向かった」との記述があった。

空港だけではない。着いた翌朝ヤンゴンの街に出てみると、いたるところで見慣れた塗装のバスを見かけた。京都市バス、阪急バス、神奈川中央バス…バスとすれ違うワゴン車にも、「藤原とうふ店」・「イヅツベーカリー」・「社会福祉法人あすなろ会」といった文字が書かれている。自分が今いったいどこの国にいるか分からなくなるほど日本の中古車で溢れかえるミャンマーの街角風景であった。

車もいいが、ミャンマーに来たからにはミャンマーの鉄道に乗っておきたいという方も多いかもしれない。おすすめはヤンゴンの市内環状線。愛知の名鉄、石川ののと鉄道、北海道の北海道ちほく高原鉄道といったローカル線で走っていたレールバスや軽快気動車が次から次にやってくる。鉄道ファンのなかでもローカル私鉄ファンと言われる人種にはさながら楽園というわけだ。この他にも、旧首都ヤンゴンと地方都市を結ぶ路線では旧日本国鉄の急行用ディーゼル車であるキハ58が活躍している。

ただしミャンマーは先ほども書いたように厳しい軍事政権が治める国。警備の兵士がいるところでうっかり列車やバスの写真でも撮ろうものなら、あとあと厄介なことになりかねないので注意が必要である。

このように、本来のミャンマーは、少し昔の日本を走っていた懐かしい列車やバス、車がのどかな南国風情の街や村を走る姿がいい絵になる場所のはずである。だが、現実はそうではない。

イギリスによる長い植民地支配や太平洋戦争中の日本による占領といった複雑な経緯を経て1948年に独立したビルマ(のちミャンマー)だったが、独立後の歩みは植民地時代にもまして過酷なものになった。

建国の父アウンサン将軍が独立前年に暗殺された後、共産主義勢力による軍事独裁政権が長くビルマ国民を支配した。その後アウンサン将軍の娘であるスーチー女史らが民主化運動を始め、1990年の総選挙では民主化を進める勢力が大勢を獲得したが、軍事独裁政権は選挙結果を無視して、民主化勢力が中心となった議会の招集を拒否したばかりか、民主化運動の活動家を弾圧し、国民を再び恐怖に陥れた。彼らは国名をビルマからミャンマーに改め、民主化運動の中心であるスーチー女史を軟禁したことをはじめ、何人もの運動家に拷問などの弾圧を加えた。

そして2007年9月28日現在、ミャンマーでは燃料の値上げに端を発する反政府デモが発生しているが、軍はデモに参加した市民や僧侶を容赦なく拘束し、時には銃撃も加えており、多数の犠牲者を出す状況になっている。

最後に、軍事政権によるデモ鎮圧で亡くなられたミャンマー国民と邦人カメラマンのご冥福をお祈りします。そしてスーチー女史が軟禁状態から解放され、ミャンマー国民が本当の自由と平和を手にすることができますように。

2016年夏季五輪招致レース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070914-00000313-yom-spo
2016年夏季オリンピックの開催を目指し、このほど7つの都市がIOCに立候補を届け出た。
・東京(日本)
・バクー(アゼルバイジャン)
・シカゴ(米)
・ドーハ(カタール)
・マドリード(スペイン)
・プラハ(チェコ)
・リオデジャネイロ(ブラジル)

本音としては、日本国家の威信を賭けて東京へのオリンピック誘致を成功させ、国民一同でもう一度夢を見たいところである。だが、この春に卒業旅行でドーハ経由でヨーロッパを周遊してきた身としては、潤沢なオイルマネーを元手にしたリゾート開発が話題のドーハや、東欧の京都とも言うべき美しい街並みを誇るプラハでの夏季五輪を見たいと思うのもまた人情である。

そういえば、7月に2014年冬季五輪の開催地がロシアのソチに決まったのは正直残念だった。

何故か?

・もし韓国の平昌がこの大会を誘致していたら?
大半の日本人が夜更かしや早起きをせず、テレビ観戦を楽しめた。いや、韓国開催と言うことは、欧米で開催される場合と違って直に観に行くのも容易かったろうと思う。

・もしオーストリアのザルツブルクがこの大会を誘致していたら?
各国のサポーターや選手団が観光を楽しんだことだろう。また、現地に行けない人々も、オリンピックテレビ中継の途中に挿入される美しいザルツブルクの街並みに癒されたことだろう。

やっと会えたね不二家のネクター
20070617233154
なかなか応対が上手くなりません。

なかなか同期と仲良くなれません。(これは思いすぎなだけかも)
でも昨日は幸いなことに、この手の愚痴を書く前にネタが見つかりました。

昔、ポケモンのアニメを見た人がけいれん症状で多数病院に運ばれる事故がありました。アニメの中で使われていた特殊効果が原因では?ということになり、原因がはっきり分かって再発防止策が定まるまでポケモンの放送が休止されたのを覚えている人も多いと思います。

その時再開第1話となったのは「やっと会えたねピカチュウのもり」というストーリーでした。

それから9年後、もう一つの「やっと会えたね」に巡り会うことができました。

昨日、京都市内某所を歩いていたわけです。楽しんでいる若者やカップルを横目に、自分には青春なんて…と思っていたわけですが、四条と木屋町の角でとある自動販売機を発見しました。自動販売機はあるお店の壁に埋め込まれている代物で、お店の入口のすぐ上にはFUJIYAと書かれていました。

そう、FUJIYAのお店にある自動販売機ということは…

ありましたありました。ピンク色の缶のネクターと黒い缶のレモンスカッシュ

会社の中の人の不始末によって何ヶ月も会えなかったけど、やっと会えた~。

というわけで、帰りの京阪電車の中でネクターで一杯やりながら家に戻ってきました。

今日は終日家でのんびり。泣ける映画を観たりサイトの更新準備をしたりして過ごしました。

話は変わるけど、最近とんと飛行機に乗っていない。学生のころ、社会人になれば毎週飛行機に乗ってマイルやステータスを稼げると考えていただけに寂しい限りである。

来月の長崎行きが今から待ち遠しい…
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